韃靼旅行記(4):哈爾浜、そして依蘭へ 2002-02-01

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韃靼旅行記(4):哈爾浜、そして依蘭へ 2002-02-01 初出『人間の経済』26号 ゲゼル研究会

泉留維(いずみるい)

 今日はまず長春からハルピン(哈爾浜)へ列車で移動、およそ240キロの道のりである。朝8時過ぎの出発、軟座、日本でいうところのグリーン車に乗り込んだ。ちょうど通路を挟んだ向かいの席に、カップル一組とビジネスマンとおぼしき中年の男性が座っている。ぼんやり見ていると、どちらも頻繁に携帯電話の着信音がなり、せわしなく何か話している。日本みたいなしゃれた着ロではないが、日本にはないすこし変わった感じの着信音だ。林さんに聞くと、中年の男性は、日本との貿易関係の仕事をしているらしい。そのうち、おもむろにカバンから、ソニーのVAIO(カラ付き)が出てきたので、びっくりした。おまけに、彼の向かいに座っていたカップルはIBMのシンクパッドを取り出して、なにやら打ち込んでいる。携帯電話にモバイルパソコンまでもが普通に見られるぐらい経済が発展しているのだ。

 一方で、窓から見える風景もなかなかのものであった。北京から長春への列車は夜行だったので、風景を楽しむことはかなわなかったが、今回は違う。町から出るとすぐに地平線まで見えるほどの平原に出る。冬なのでただ荒野が広がっているように見えるが、実はどこまで行っても果てしなく続く「とうもろこし」畑なのだそうだ。途中数カ所で、「とうもろこし」を貯蔵する倉庫が無数に立ち並んでいた。あと、カラマツと思われる大量の木材があちこちの駅で積まれていた。

 線路沿いには、防風林なのであろうか、ずっとポプラが植林されている。ただ、北海道のように密な防風林ではなく、まばらに近いのでそれほど効果は望めなさそうだ。よく地面を見てみると、ところどころに切り株が残っている。おそらく誰かが燃料として切って持っていってしまったのであろう。

 中華人民共和国が建国されて以来、植林、すなわち緑化は大きな政策目標として掲げられている。建国初期である1952年2月に林墾部長梁希は、演説で、自然災害を防止して被災地方の農業生産力を回復するために緑化が必要であると言っている。そして、改革開放期において、政治的目的もあるが、「全民義務植樹運動」が展開され、毎年植樹する義務を国民に課した。そのためであろうか、統計的には、中国の森林被覆率が大幅に改善している。中国の統計の信憑性や質の問題に目をつむり数字だけ見ていると、1949年では7.9%であったものが、1998年にはなんと16.55%になっているのである。ちなみに、日本は67%であり、世界平均は27%である。内実は国有林を中心に荒れ放題なのであるが、日本は、数字的には緑の大国である。

 後日、吉林省の上層部の人と会う機会があったので色々尋ねたのであるが、吉林省では緑化に関しては、吉林省の東部では「退耕還林」、西部では「退耕還草」をかかげて行っているそうである。簡潔にいえば、まず耕地を減らし、東部では木を植え、西部では草を植える、ということである。これは、中央政府がとる中国全土での水害対策の方針(「封山植樹、退耕還林、退田還湖、平?排洪、以工代賑、移民建鎮、加堰固堤、疎浚河道」)とほぼ同じである。それにしてもこの32字の方針は、非常に画期的だとわたしは思ってしまう。

 昼前にはハルピン駅に到着した。長春よりもかなり北に来たので、さすがに冷たい風が肌を刺して痛い。ハルピン駅に立ったとき、すぐに脳裏に浮かんだのは1909年10月26日に、この駅で暗殺された伊藤博文のことであった。日露戦争が始まった1904年頃には、すでにこのハルピンには1,000人以上の日本人がいたそうである。今でも市街地に出るとロシアと日本の影響が色濃く残った建物を見ることができる。現在、ハルピン市は、中国の最北端に位置する黒龍江省の省都であり、7の行政区と13の県を直轄している。市の面積は5.31万平方キロメートル、総人口は950万、そのうち市区の人口は411万(ちなみに黒龍江省の人口は 3640万人である)である。


荷物をおくとすぐにハルピンの市街地を流れている松花江を見に行った。16時も過ぎれば日が沈んでしまうこともあるが、この松花江は、清朝までの北方交易において非常に重要な位置を占めており、また黒龍江の支流としてオホーツク海に流れ込むため環日本海の環境を考える上でも重要な河であり、是非この目で早く見ておきたかった。松花江は、別名スンガリーともいい、朝鮮国境にあるかの白頭山の頂の天池に源を発しているのである。ちなみに、黒龍江は、アムール川とも言い、北東アジア第1の長流で、全長は4,440km、本流のみで2,824kmもある。主な支流は、アルグン川、ウスリー川、そして松花江(スンガリー川)である。

 市街地を流れているため、ホテルから歩いていけるぐらいの距離に松花江はあった。ただ真冬のため、一面凍っており、子供たちがたこ揚げをしたり、中国ゴマで遊んだりしている。遊園地のようになっているところもあり、氷でできた巨大滑り台が目立つところにあって、犬ぞりや馬車に乗れたり、なんとラクダにも乗れたりするのであった。この日は、偶然、ハルピン市の氷祭りの開始日で、松花江の土手には寒いながらも屋台(当然ながら日本みたいな吹きさらしではなくテントみたいに閉ざされている)が並び、なにかお祭り独特の雰囲気を醸し出している。また、氷の彫刻(人民解放軍が作っているらしい)があちこちにあり、中にはライトが埋め込まれていて、夜になるとさぞ美しいことであろう。

 春夏秋は、この松花江もゆったりと水が流れているのであろうが、今はその面影はどこにもない。一面氷が張り、ここが河であることを感じさせるものは、河をまたいで架かっている鉄路とロープウェイだけだ。明日は、車でさらに下流に行き、清朝時代、異民族統治の最前線であり、満州旗軍が駐屯し、副都統があった三姓(現在の依蘭)に行く。ここでは、またちがった松花江が見られるのであろうか。

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