アリストテレスの経済論〜地域通貨を読み解く一つの鍵〜

アリストテレスの経済論〜地域通貨を読み解く一つの鍵〜

泉 留維

 アリストテレス(Aristoteles)は、皆さんがよくご存じの紀元前300年代に活躍した古代ギリシャの哲学者です。彼の経済思想は、中世ヨーロッパのスコラ学派黄金期のトマスアクイナスが引き継ぎ、中世の都市経済に大きな影響を及ぼしましたが、現在では名前は知られていても、残念ながら彼の経済論はほとんど知られていません。ちょうどアリストテレスが生きていた時代は、今私たちが当然のように受け入れている「市場経済」なるものが萌芽しつつあるときでした。彼はそれを鋭く観察し、批評をしています。簡単にですが彼の見解について見てみましょう。

 需要と供給の関係である財の価格が決まる経済システム=市場経済は、人間の誕生と共に存在していたわけではありません。人類の起源を約365万年前にとって、それを一年と仮に見なすと、農業革命が起きたのがやっと「大晦日」、産業革命が起きたのが「除夜の鐘43分前」です。そして、市場経済が生まれたのも「大晦日」です。人類の歴史という観点から見れば、市場経済に身を任せて生きているのはまだほんの一瞬のことです。ただ、この一瞬の間に、多くの大規模な戦争や環境破壊が起きていることも忘れては行けません。

 アリストテレスは、「大晦日」に誕生し、当時萌芽しつつあった市場経済を見て、どのようなことを書き残したのでしょうか。彼の主著である『政治学』『ニコマコス倫理学』によると、人間は他の動物同様に本来自給自足的なものであり、人間の経済は、人間の欲望や必要の無限性(「希少性原理」)から派生してできるものではないと繰り返し述べています。すなわち、動物は、生まれたときから自分の生存に必要な物質が環境の中に用意されていることを見いだしており、人間も全く同じ存在であるため希少という概念自体があり得ず、そして「より豊かな物質的財への欲望と快楽」への欲望を良い生活を見なすことは誤りとしました。生活必需物質を確保するということがアリストテレスの経済概念の基本にあり、それ以上の物質的な財を欲するのは人間の経済に反すると考えたのです。彼が言うところの「良い生活」とは、物質的な豊かさとは関係なく、物質的に所有することができないもの、例えば一日中劇場で感動すること、公職に就くこと、立派なお祭りをすること等です。

 ただ自給自足といっても、生活必需物資をすべて個々人や個々の家が実際に作るというわけではないため、何らかの交換行為が存在しないと生活ができません。この交換行為のあり方において、市場経済の特徴が如実に表れます。すなわち、市場経済では、需要供給価格カニズムが働き、価格は一定ではなく、取引する二者間での駆け引きと価格差によって生み出される利潤が存在します。そこでは、個人(もしくは人格を持つ法人)の利益(=利潤)が支配原理となっています。アリストテレスが生きていた時代、アテネのアゴラ(都市市場)などの特定の場所でのみ観察できた制度です。ただ、アリストテレスは、この経済のあり方は、先述の人間の経済とは相容れないとしました。彼は、財が交換される比率は成員間の善意によって支配され、一度決定された価格は固定された状態を保つべきだとしました。なぜなら、交換行為は自給自足性を回復することにあり、交換行為自体により儲けを得るためではないとしたからです。そこでは共同体の利益(=親密性)が支配原理となっています。もし市場経済の変動価格制度を取り入れれば、当事者の一方を犠牲にして他方に利潤をもたらし、共同体の緊密性を壊しかねないと考えたのです。つまるところ、アリストテレスの考える経済とは、「その時、共同体の生存に必要な物資(生活必需物資)に関するもの」であり、価格は「共同体の紐帯を強化」するようなものでなくてはならない、というものでした。

 19世紀のイギリスの評論家トーマスカーライルは、「社会」が、いつも市場のつながりだけで結ばれている人間関係を「現金結合」と揶揄しています。もちろん、昔のような地縁血縁職縁でガチガチに固められた共同体を再形成しなければならないなどと主張するつもりは毛頭ありません。が、「除夜の鐘まで43分」から始まったありとあらゆるものに(人間の労働や土地、貨幣にまでも)価格をつけ市場で取引する制度は、生産地と消費地を別個に作りだし、伝統的な共同体の解体を促進し、そして人間が共同体の一員であることよりも、まず個人であることが強調されるようになりました。その結果、存在基盤の希薄さから、社会的な疎外感を感じ取り、自己同一性や自律性の喪失などの問題が指摘されるようになっています。極めて抽象的に表現すれば、ドイツの社会学者テンニースが主張するような技術進歩と個人の自由という利点を保持しながら生の全体性の回復を目指す共同体の構築が急務となっているかと思います。その意味では、市場経済の揺籃期に生きたアリストテレスの経済論における要点、すなわち人間の経済における絶対条件である今は完全に失われてしまった共同体の自給自足性の公準についてもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。そして、その中で、市場経済における交換の媒介物である円やドルといった貨幣、そしてそれとは異なるベクトルを持つ地域通貨のあり方が、問い直されてくることだと考えます。

注釈:本文は、ポランニー著『経済の文明史』(ちくま学芸文庫)によるところが多いです。上記のような「市場経済」「非市場経済」の議論に興味がある方は、是非お手にお取りください。

2005年5月15日