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- 執筆者: izumi
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桜が散るか散らないかの日本人が美を強く感じる時期に、鎌倉の里道を歩きに行きました。里道とは「道路法による道路に認定されていない道路すなわち認定外道路のうち、公図上赤い帯状の線で表示されているもの」を指します。地区住民の日常生活に密着した道路として利用されてきた歴史があり、その敷地は、現在では市町村の財産となっています。鎌倉市の里道は総延長600キロにものぼるとかのぼらないとか言われはっきりはしませんが、相当の長さを持っているのは事実です。
まず鎌倉市の里道の実態を聞くために鎌倉市役所道水路管理課に赴きましたが、全域の里道については質問してもまとめた資料などはないと言われたため、すぐ近くにある横浜地方法務局鎌倉出張所に赴き、今回特に注目し、歩き回ろうと考えていた広町緑地付近(鎌倉市腰塚・津:鎌倉広町の森)の旧公図を閲覧しました。写真(性格上解像度を落としています)を見ていただければわかるように、旧公図は非常に鮮やかで、赤線・青線が一目瞭然となっています。広町緑地には里道が縦横に走っていたのがよくわかります。ちなみにこの周辺は、鎌倉時代には京都から鎌倉に入る大手(玄関)だったそうです。
そもそも広町緑地(約60ha)は、都市近郊の大規模な手つかずな私有地であったため、1973年、事業三社によって大規模開発(主に宅造)案が発表されて以来、常に開発圧にさらされてきた場所でした。地元住民は、数少なくなってしまった市内の残された緑地を保全するために反対運動を継続し、1984年には周辺8自治体により「鎌倉の自然を守る連合会」が結成されています。この団体などを中心に粘り強く運動を続けた結果、2000年には鎌倉市議会で広町を都市林として保全する「広町の緑地保全に関する決議」が採択され、2002年10月には事業三社は開発を中止し、用地(36.8ha)を市に売却することで鎌倉市と基本合意するに至っています。2003年12月、総額113億円(神奈川県20億円、国20億円、鎌倉市緑地保全基金35億円、鎌倉市38億円)で買収、晴れて公有地となり長期的な保全ができる体制になりました。事業三社以外が保有していた残りの土地もほぼ2006年2月までに買収が終わり、現在では都市林公園を目指しているそうです。
里道の話に戻りますが、緑地保存運動に取り組んでいた「鎌倉・広町の森を愛する会」の代表(当時)の池田尚弘さんは、赤道は入会地と同様、地域住民共有の財産であり、住宅開発をすることで、その共有財産を業者が勝手に侵害することは許されないと考えたそうです(詳細については『季刊まちづくり』の該当記事をご覧ください)。そこで、ただ反対するだけではなく、この赤道を修復し、再活用することによって、忘れられていた共有性を復活する活動を展開しました。そのおかげもあって、今では下記の写真のような立派な里道を私たちが享受できるようになっています。この広町緑地の場合、身延町のように里道によって地域外からの開発を妨げることができたと結論を下せるかは難しいところですが、少なくとも里道整備が地元住民によって再び行われ始めることで里山自体(「おらが山」)と保全の重要性の再認識につながっていったことは間違いないでしょう。
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広町緑地の里道の詳細な光景についてはこちらをご覧ください。