山梨県の財産区

 ほぼ一年がかりで、ローカル・コモンズの一形態である財産区の悉皆調査を実施していますが、平成の大合併の際、新設された財産区の過半は山梨県にあることがわかりました。そして、その大部分が恩賜県有財産(恩賜林)保護組合が、合併に伴い財産区化したものです。なぜ、財産区化したのかは、アンケート調査ではわからないので、10月、現地で聞き取り調査を実施しました。その結果は、また別の機会のふれるとして、その調査の過程で、恩賜林以外で財産区化したところも訪問しました。
 その中の一つが、旧明野村および旧須玉町にある浅尾原財産区です。徳川時代、朝神村と穂足村の住民の入会地でしたが、明治に入り、官有地に編入されてしまいました。しかし、両村の住民は、国へ払下げを請願し、1886(明治19)年に入会地の払下げが許可されました。買収面積は358ha、金額は約344円、当時の朝神村の歳入3年分にもあたる額です。この周辺で入会地の払い下げを実施したところは、詳細に調べてはいないですがどうもあまりないようです。
 平成の大合併以前は、土地が町村をまたいでいたので、一部事務組合がその所有・管理を行っていましたが、北杜市発足に伴い、一部事務組合でいることができなくなり、仕方なく財産区に変更したそうです。この「仕方なく」がポイントになるのですが・・・
 現在、財産区には、2人の専従職員がおり、独自に事務所も構えています。その事務所の写真を見てもらうとわかるように、非常に立派な建物です。フラワーセンター用地売却収益で建設したそうです。財産区の意志決定は、組合の時と同じく役員会が行い、役員は朝神地区から7人、穂足地区から7人が選ばれます。組合員の資格は世帯単位で、新住民は組合員には原則なれないなど、いわゆる入会集団として運営されているようです。
 キャンプ場の運営から山林パトロールの実施まで、しっかりと活動している入会集団でした。財産区の新設といっても、組合でいれないためという理由に過ぎず、いわゆる明治や昭和の大合併時の新設とはかなり違う様相です。

浅尾原財産区会館