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韃靼旅行記(2):偽満州国 2002-01-24 初出『人間の経済』24号 ゲゼル研究会
泉留維(いずみるい)
早朝7時前に、長春の駅に到着した。列車内はスチーム暖房で非常に暖かいが、外はいかがなものであろうか。シベリアほどではないだろうが、氷点下20度の世界へ突入である。十二分に着込んで、列車を降りた。氷点下2、3度で凍えていたわたしにとっては、そもそも氷点下20度の世界を想像するのは難しかった。「息を吐けばその息が凍り、バナナで釘が打てる」なんてバカな考えは、しっかり裏切られた。
プラットホームにおりると、顔に冷たい風が打ちつける。ただ、驚くほどのことはなかった。大きな荷物を抱え、多くの人が改札へと向かう。改札の外には、親戚や友人が待ちわびているのだろう。わたしたち3人は、長春のかすかな硫化水素のにおいがする空気をすいながら、ゆっくりと改札に向かった。コーディネーターである林さんの地元は、この長春である。林さんにとっては、3年ぶりの帰郷であり、わたしには見せないが、感慨深いものがあるだろう。
改札口には、林さんの「朋友」である王さんが出迎えにきてくれていた。なんでも、日本で知り合い、「兄弟」になったそうである。中国の東北部は、非常に友人関係を重要視する。ビジネスも、友人関係を駆使して行うことが多いらしい。この友人関係に、これからいろいろ驚かされるのであるが、この時点では、それほど気にしなかった。王さんの車で、ホテルに行き、荷物をおき、一休み、そして林さんの友人がたくさん集まってくる。みんな一国一城の主である。ネットカフェの経営者もいれば、商社のようなことをしている人もいる。林さんは言う、「中国人はみんな社長になりたがる」、そして「日本人は3人集まれば力を発揮するが、1人だととても弱い。中国人は逆。3人中国人が集まればケンカするだけ」。
林さんの友人たちと、ホテルのバイキングで朝食。食べているうちに気づいたのであるが、あちこちにクリスマスの装飾がある。サンタが踊り、トナカイが走っている。もう1月に入り、とっくに年が明けている。ただよく考えてみると、中国の正月は旧正月。新正月は、たいして重要ではない。中国は、今ちょうど年末であり、クリスマスの装飾は「年明け」まで残しておくのが普通なのであろう。にしても、日本と同じく、中国人も、にわかクリスチャンになる人が多いのは、微笑ましいし、商魂がある。
朝食の後、早速、長春の町に出た。長春は、吉林省の省都で、面積は18,881km2、漢族、回族、朝鮮族、壮族など37の民族が住んでおり、総人口は678万、そのうち市区の人口は274万である。
市街地を車で走っていると、なにか日本の城のような建物が並んでいるのを見つけた。聞けば、満州国時代の建物とのこと。現在は、中国共産党の事務所になっているそうである。ご存じの通り、長春は、満州国の首都であった。当時の建物が多く残っていて、特に満州国の行政や関東軍の建物は、今は、病院になったり、大学になったりしている。その一部を紹介してみよう。
◇満州国務院= 満州国最高行政機関で、日本の国会議事堂を真似て造られた。現在は、医科大学。
◇旧満鉄本部= 現在も鉄道局の事務所となっている。
◇旧関東軍司令部= 旧日本の関東軍司令部があったところ。現在は吉林省共産党委員会の建物となっている。
◇旧憲兵司令部= 現在、吉林省司法省となっている。
◇満州国中央銀行= 現在、中国人民銀行吉林省分行になっている。
このような満州国時代の建物を横目に、わたしたちは、ラストエンペラー溥儀の王宮「偽皇宮陳列館」に向かった。日本でも、有名であるラストエンペラー愛新覚羅溥儀、清朝の宣統帝として即位したのもつかの間、すぐに辛亥革命(1911年)で清朝は滅亡、その後、日本軍につれられ、1934年に満州国の皇帝となるのである。
愛新覚羅とは、一風変わった姓である。そもそも彼ら一族は、満州族であり、漢族ではない。この愛新覚羅も、中国人が漢字を当てはめたものである。ツングース語である固有満州語には、ギョロという言葉があり、これは、おなじ血統のことをさす。また、黄金のことをアイシンという。つまり、「黄金の氏族」(アイシンギョロ)と自称していたのが、清朝の王族であった。
訪れた溥儀の王宮は、現在、「偽皇宮陳列館」となっている。中国では、満州国のことを、「偽」満州国というため、偽皇宮と名付けられている。ちなみに、英語では、“Imperial Museum of the Puppet State Manchuguo”である。
皇宮といっても非常に簡素である。あの紫禁城の一区画にも及ばないのではないだろうか。門をくぐると、まず江沢民によって書かれた「勿忘九一八」という石碑が目に入る。「九一八」とは、もちろん日本で言うところの柳条湖事件の日である。江沢民は自分の腕に自信があるようで、あちこちに自筆の石碑を建てている。そして、石碑の後ろには、溥儀の執務室兼寝室である建物があり、中は、現在、当時の再現部屋と写真の展示室になっている。溥儀は、日本の傀儡皇帝であることを知りながら、ここでどのような夢を見ていたのであろうか。