ミャンマー(ビルマ)における廃貨

ミャンマー(ビルマ)は、1885年に第3次イギリスビルマ戦争により、約850年にわ たる王朝時代が終焉し、イギリスの植民地に組み込まれた。1886年3月以降、すでに 植民地化されていたインドの一部として統治され、1937年4月からはインドから分離 されたイギリス植民地となった。そして、1943年に日本軍が進駐、大戦後は再びイギリス領に服した後、1948年1月共和国として独立した。その後、政情不安や外国資本 の激しい進出などにより、1962年に軍事クーデターが起き、軍事政権は華僑、印僑に よる経済支配の打破が唱えた。全ての外国人資本の国有化を目指し、イギリス資本の 金融、鉱山、プランテーション、大規模工場、華僑資本の中小企業、諸種サービスな どの殆どが国営化された。その中で、1963年2月にすべての銀行が国有化され、そし て1964年5月、一回目の貨幣交換(廃貨:Demonetizations)が行われた。大量に現金 を抱え込む資本家に対して、高額紙幣を小額紙幣に交換する際に手数料を採ったため 実質的な貨幣課税となった。そして、1985年11月にまた一部商人の私腹を取り上げる との大義名分と、貨幣流通量を減らしインフレ抑制を狙うために、高額紙幣(50及び 100チャット)を廃貨した。廃止された紙幣を新しい少額紙幣に交換する際、国有銀 行に提示し、個人所得に応じて一定額を超えた場合税金(貨幣保有税)を支払う仕組 みであった。交換した小額紙幣は、25や35チャットといった半端な額の紙幣であり、 使用しにくい形がとられた。さらに軍事政権は1987年に三度廃貨を行った。この時は 、小額紙幣である25、35、75チャットも廃貨、そして1964、85年に実施された同様の 措置の際には、小額紙幣との交換が認められたが、1987年9月の措置の際には、小額 紙幣との交換もほとんど認められなかった。この三度目の廃貨は、少額貨幣までに及 び、交換がほぼ行われなかったため、国民生活に大きな影響を及ぼした。貨幣流通量 が、1987年6月の177万チャットから1987年9月には81万チャットまで大幅に減少した のであった。三回の廃貨の過程では、75、35、15、45、90チャットという半端な額面 の紙幣が発行されている(数字は発行順)。現在でも45チャットといった半端な額面 の紙幣が廃貨の名残として残っている。