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- 執筆者: izumi
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今年で3年目になりましたが、愛媛県旧関前村(現・今治市、離島振興対策実施地域)でのゼミ合宿を行いました。旧関前村は、役場のあった岡村島、小大下島、大下島の三島からなっていました。現・今治市の中では、唯一、船に乗らなければ、市役所に行けない場所です。
旧関前村の人口と世帯数(国勢調査)は、1985年は1397人、531世帯だったものが、2005年には673人、352世帯にまで減少しており、高齢化率は48.7%(00年)です。主な産業は、漁業(鯛・鰆・蛸・天草・ヒジキなどの採取)と農業(主に温州蜜柑の栽培)ですが、どちらも市場の状況と高齢化によりかなり厳しい状況です。
日本各地の中山間地の急速な過疎化が問題視されてから、かなりの時が経過しました。が、問題は一向に改善されず、05年には全国の過疎地比率が50%を超えました。地域から稼ぎ先がなくなり、行政サービスも財政難や合併に伴い質、量ともに低下し、さらに高齢化と独居世帯の増加は共同体の機能も低下させ、多くの集落が崩壊の瀬戸際にあると言っても過言ではないでしょう。一般に中山間地の集落の消滅は、当然、地域文化(歴史)の喪失という面もありますが、人の手が入ることで維持されてきた山林や田畑を荒廃させ、土砂崩れや地滑りを多発させるなど都市部の人間にとっても他人事ではない問題と言われています。そのため、都市部の人がお金を出しても、中山間地の集落の維持をしなくてはならないという理屈を立てることができ、実際に自民党総裁候補の谷垣財務大臣は、ふるさと共同税という提案を行っています。
では、旧・関前村のような瀬戸内海の離島の過疎地の問題を解決し、集落崩壊を防ぐことにはどのような意味があるでしょうか。中山間地とは異なり、下流域がなく都市とは生態的に結びつきがほとんどないため、積極的な環境保全的意味合いはあまり持ち合わせていないと思われます。また、離島の経済的重要性としてよく言われるのは、1)漁船の補給基地、2)灯台、3)外洋における排他的経済水域の基点、4)気象観測拠点としての役割ですが、これも現在の瀬戸内の離島にはほとんど当てはまらないでしょう。そうなると、どのような意味で集落を維持することの社会的(外からの)価値を見いだすのか、もしくは積極的な価値を見いだせないと言うことで消滅集落として私たちは受け入れていくのか、どちらに転んでも非常に難しい問題かと思います。
旧・関前村の各集落は、現実には一方的な縮小傾向です。集落維持の臨界点の概念として、最近よく使われる「限界集落」と位置づけられるところが過半です。限界集落とは、高知大学名誉教授の大野晃氏が提唱した概念で、端的に言うと65歳以上の高齢者が、人口比率で住民の50%を超えた集落のことを指します。今回、学生と一緒行った簡易的な集落調査(3集落、計6世帯)では、自分たちの世代で集落は消滅しても仕方がない(その理由は主に●島内に稼ぎ先がほとんどない、●交通が不便)と思っている人が多かったですが、よそ者が出しゃばって新たに何らかの価値と対応を探っていくことが今まさに必要なのではと強く思いました(おそらくそれは離島振興法とは異なる内容になるでしょう)。