その他

『コモンズと地方自治:財産区の過去・現在・未来』発刊

2011年8月、ここ4年来、研究を続けてきた財産区の研究成果が、本(『コモンズと地方自治:財産区の過去・現在・未来』)となりました。その多くが入会(いりあい)である財産区は、日本を代表するコモンズと言えるでしょうが、その包括的な現状は必ずしもわかっていませんでした。特別地方公共団体でもあるので、総務省が把握していても良いのですが、総務省は簡単な調査をするだけで、それほど多くの情報は持っていません。そのため、チームを組んで悉皆調査を行い、98%の財産区の状況をまとめ、分析したものが今回、本になっています。調査の概要については、ここをご覧ください。また、本の目次などの詳細は、発行元の日本林業調査会のHPでご確認ください。
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農業実習開始


佐賀県伊万里市の地域通貨ハッチーの調査や、入会権の大家である中尾英俊先生の講演会主催など、近頃、バタバタしていましたが、そうこうしているうちに今年の農業実習を開始する時期が来てしまいました。
例年と同じく、実習場所は横浜市青葉区の寺家ふるさと村の谷津田です。さすがに休耕田を開墾してから3年目となり、そこそこの田んぼになってきました。周囲の里山の竹きりも定期的にしているので、日当たりもかなり良くなっています。
今年は周囲の竹や雑木を切り出すのもさることながら、例年、懸念材料となっていた「くろ(畔)」の補強作業を行いました。くろぬりするだけでは、どうしても水が落ちてしまうところがあったので、そこは写真のように雑木の丸太をおき、竹を打ち込んで固定してから、その上に土をかぶせていきました。その他にも竹を打ち込んで水路を補強するなど、ようやく「田んぼ」らしくなってきたでしょうか。

2007年の農業自習の写真はこちらをご覧下さい。
 

上関原子力発電所の完成予想図の怪


中国電力(株)は、現在、山口県熊毛郡上関町長島四代地区にて原子力発電所の建設を進めています。そもそも中国電力がここに建設計画を立てていることがわかったのは、1982年6月末のこと。田ノ浦浜を埋め立て(敷地面積の約半分15ヘクタール)、137.3万キロワットの改良沸騰水型軽水炉2基を作ろうとしています。大規模な埋め立て(周辺の山を削って実施)、大量の冷却水の取り込み、毎秒190トン(2基運転時)もの温排水(通常より約7度プラス)の放出などの問題で、この周辺で操業している対岸約4キロにある祝島の漁民などが強硬に反対しています(係争中)。さらに、予定地内には四代集落の共有地があり、その土地に入会権があるということで入会権者の一部が全員一致原則をもとに売却に反対しています(係争中、最高裁)。また、神社地(四代八幡宮)の売却に絡む係争も起きています。これらの詳細については、長島の自然を守る会や反対運動・速報版、中国電力・上関原子力発電所(着工準備中)をご覧下さい。
ところで、写真(上)が1999年4月に出された中国電力の「環境影響調査書」、写真(下)が2001年7月に出された同社の「環境影響評価書」にそれぞれ掲載された完成予想図です。実はこの2つには大きな違いがあります。それは大きく2ヶ所です。いったいどこなのでしょう? (写真はクリックすれば拡大します)


1つは、写真(下)の左側に黄緑で囲った場所です。この場所で、2000年以降、数度にわたりカクメイ科のヤシマイシン近似種の貝(極めて珍しい貝)が見つかり、保全措置を執った結果です。この変更によって、ヤシマイシン近似種がなお繁殖し続けるのか・・・
もう1つは、写真(下)右側の赤で囲った場所です。このポツンとそびえる?小島はダイノコシとよばれ、ビャクシンが岩山に自生している姿が見えます。これら植物を保全するために、島が削られず現状のままにされることに変更になっています。なぜこのような変更が起こったのかもさることながら、続々と裁判の判決結果が出て行く中、これからの電力需要(特に中国地方における)や行き場に困っている放射性廃棄物の問題、そして周辺住民の暮らしなどをしっかりと見つめながら、この建設問題について考えて行かなくては行けないでしょう。

上関調査の写真はこちらをご覧下さい。
 

赤線・青線と入会権

 日々私たちが歩いている道路は、そのほとんどが公共物(国有財産法に基づく)です。例えば、「国道・県道・市道」は道路法(昭和27年法律第180号)が適用される「法定」公共物ですし、また「一級河川・二級河川・準用河川」は河川法(昭和39年法律第167号)が適用または準用される「法定」公共物です。一方で、公共物でありながら、法律の規定がないものがあります。公図(不動産登記法17条)の上でも地番がありません。そのような公共物を「法定外」公共物(長狭物)と言います。法定外公共物の多くは、明治時代に公共物に関する法律が制定されていく中で、その範疇に含まれなかった地区住民の日常生活に密着した「道」や「小川・水路」です。
 公図での色分けから、道路法の適用がない道路である里道を「赤線」、河川法の適用のされない水路を「青線」とも言います。赤線も青線はながらく国有財産(国土交通省管轄)でしたが、地方分権推進の一環として2005年3月末までに市町村に譲与されています。ただし、自動的にすべての赤線・青線が譲与されたわけではなく、市町村が公図に基づき必要なもの(機能を有するもの)を国に届け出をして譲与されています。それ以外のものは用途廃止(普通財産化)となりました。 (注1:上記写真は身延町北川地区花柄沢の処分場建設予定地内の赤線)
 例えば、赤線は、その付け替えや払い下げを受けようとする場合、地域生活に関わる道路であることから、原則、隣接地所有者及び地元土地改良区代表者等の全員の同意が必要となっています。たとえ、現在は使用されていなくても、将来使用されうることから、現在の使用状態如何に関わらずでです。その意味で、地盤は市町村有であることから、地役入会権に近い構成内容を持った権利があるとも言えるでしょうか。
 赤線・青線に関する裁判はいろいろありますが、山梨県南巨摩郡身延町では、同町内にある民間企業(株式会社山の都)が一般・産業廃棄物管理型最終処分場(埋立容量93万m3:72%が「焼却灰」「煤塵」)を建設しようとしたところ、その山中には赤線・青線があったことから地元住民・自治体と業者の間で係争となっています。処分場建設に伴う起こりうる環境問題や裁判の詳細(主に人格権を争点としている地元住民が県に対して起こした「廃棄物処理施設設置許可処分取消訴訟」)等については、みのぶ緑と清流を守る会のHPをご覧下さい。 (注2:下記写真は旧下部町(現身延町)のあちこちで見られる産廃処分場建設に反対と書かれたのぼり旗)
 本係争における赤線・青線問題は、処分場予定地である花柄沢の底地部分、赤線約847 m2、青線約1,639m2についてです。計画通り廃棄物の埋立を始めると、それらが使用不可能になるので、占有許可か付け替えの手続きが必要となってきます。しかしながら、付け替えをするには処分場に反対している関係者の土地である寺有地や入会地に必ずかかるため新設は困難であり、そのまま埋立をして占有するには身延町公共物管理条例(平成16年9月13日条例第173号)で「使用期間は最高10年(第6条)」や「使用後は元の状態に戻す(例外有り:第14条)」などの項目があることから、赤線・青線によって事業が進捗できない状態です。事実、2006年2月20日、身延町は「赤線・青線の使用」を不許可としています。ちなみに、同年10月9日、業者は身延町に対して不許可処分取消請求訴訟を起こしています。
 地区住民の日常生活に密着した道路・水路として利用されている/いた赤線・青線は、入会権のような法律に明記された形での地域住民にとっての権利はありませんが、地域の生活にとっては必要不可欠な資源であり、一方で不必要な地域外から押し寄せる開発を止めうる手段として認識できるでしょうか。

身延調査の写真はこちらをご覧下さい。

2007-02-10

エコミュニティ・ネットワークとタイムダラー・ネットワーク・ジャパン

1999年頃から日本では地域通貨が取り組まれ始め、2002年、2003年がもっともマスコミももてはやし、各地で盛んに取り組まれたかと思います。2006年の時点でも30以上の新しい地域通貨が産まれているので、下火になったとまでは言えませんが、やはり一時期の勢いはないと言えます。1999年頃から地域通貨の取り組みを引っ張ってきた団体といえば、地域通貨実施団体として「おうみ(2004年9月流通中止)」と「ピーナッツ」、支援団体として「エコミュニティ・ネットワーク(当時はエコマネー・ネットワークだったかな)」、「タイムダラー・ネットワーク・ジャパン」、「ゲゼル研究会」をあげることができます。
実施団体の「ピーナッツ」はますます盛んに新たな展開をしていますが、支援団体の「エコミュニティ・ネットワーク」は2006年10月に解散し、「タイムダラー・ネットワーク・ジャパン」も2007年3月をもって解散するという話です。タイムダラーの方は中心的に活動していた人が移住したこともあり、これからは個々の団体がじっくり取り組んでいこうというどちらかといえば発展的解散ですが、エコミュニティの方は「諸般の事情により解散」(注)といういろいろ打ち上げていたわりには歯切れの悪い突然の解散です。
貨幣として地域通貨を見なすのなら、半永久的にとまでは言わないまでも、長期間(ないしは一定期間)、循環が保証されていないとダメです。が、「地域通貨」だけは永遠です、ということはありえないので、これからもいろいろ閉鎖・中止されていくでしょう。地域通貨を詐欺まがいの仕組みとして使う人も現れてきている昨今、本当の意味で地に着いた取り組みが必要となってきています。

(注)関係者は「中心市街地活性化本部が設置されて、エコミュニティー・ネットワークとしての使命はある程度達することができたために解散する」 と説明していたそうです。(2007年2月10日追記)
 

奄美大島瀬戸内町の入会権係争の調査

12月中旬、奄美大島南端の瀬戸内町に赴き、現在進行中の一般廃棄物処理場建設に伴う裁判についての調査を行った。瀬戸内町では、 77年建設のごみ焼却場が耐用年数(00年まで)が迫り、また廃棄物処理法の改正に伴い、焼却場ならびに最終処分場(03年に閉鎖予定だった)の新設が求められていた。迷惑施設であることから、建設予定地の決定には紆余曲折があり、98年10月、網野子集落の部落山に建設することを町が決定した。

98年11月29日、当該山林の町への貸付に対して、集落の臨時総会が開かれ、賛成44、反対5世帯の多数決決議により、町への貸与が承認された。 この決定についてまず危機感を覚えたのが、建設予定地の下流の集落である嘉徳集落の人々である。建設予定地周辺から嘉徳川(写真)にかけては、アマミノクロウサギ(絶滅危惧種?B類)やリュウキュウアユ(同?A類)などが生育している場所であり、奄美の生態系にとって貴重な場所であると共に、集落の人々にとっては生活の場である嘉徳川が汚染されるかもしれない状況となったのである。そして、当該山林が網野子集落の共有入会地であったことから、01年1月26日、反対派住民9名が入会権(全員一致原則の適用)に基づき建設工事差し止めの仮処分を申し立てた。
仮処分の申立は、地裁名瀬支部では入会権の存在と保全の必要性を認め認容、異議申立では一変して仮処分の取り消し、高裁への抗告ではまたひっくり返り工事禁止の命令、最高裁(03年12月25日)では高裁と同様の決定が降りている。最高裁の仮処分指示の決定にもかかわらず、町は工事中止の意思を示さなかったため、反対派住民は本訴を提起した。04年2月20日、第一審判決では原告らの請求が認められたが、06年4月28日の控訴審では町が勝訴している。その詳細はここでは書ききれないため割愛するが、要点は入会権の処分行為を「全員一致制」か「多数決制」のどちらで行えるかである。当然ながら、入会権はその性質上、多数決がふさわしくない物権であるはずだが、高裁ではそれを認めなかったのである。現在、最高裁に上告し、書類が受理されているようなので、07年には審理が行われるかもしれない。
現在のところ、地域ないしは集落外からの安易な開発を地元住民が止める法的な枠組は存在していないに等しい。環境権や自然享有権という権利は未だ明確化しておらず、その中で開発を止める大きな法的手段が「入会権」となっている。その入会権の処分が「多数決」で可能になった場合、いったいどうなるのであろうか。

奄美調査の写真はこちらをご覧下さい。
 

稲刈り終了

横浜寺家ふるさと村にある田んぼの稲刈りが終わりました。種の選別を間違えてしまい「コシヒカリ」を植えたため、予定よりも3週間ばかり早くなりました。谷津田で、里山の手入れ(田にかかる雑木や竹の伐採)がまだ不十分なので、日当たりがあまり良くなく、収量が昨年植えた「栄光」の時よりも3割減でしょうか。
今年新たに休耕田を開墾したところは、田んぼが完全にフラットになっていなく、土の状態も良くなかったなどのため、かなりの稲が倒れてしまった・・・なんとか3枚の田んぼをゼミ生20人ほどで稲刈りとはざかけを3時間弱で完了させました。

稲刈りなどの写真はこちらをご覧ください。

熱海の自然エネルギー

熱海は、箱根と比べると温泉の町としての客足の衰えが激しいですが、町中にはいろいろおもしろい場所があります。
咲見町は、熱海温泉の中でも高温(80度前後)の源泉が数多くある場所のようで、街角に古くからの源泉である「熱海七湯」(あたみななゆ)の一つ「小沢の湯」があります。とは言っても、現在は身体を浸すことはできませんが、なんと「温泉(?)たまご」を作ることができます。


上の写真の下部に源泉から出てくる蒸気の噴出口があり、鍋ぶたがついた専用のタマゴ入れがあります。そこに生タマゴを入れて約10分。立派なゆでタマゴができました(半熟が好きな人は7分弱。生タマゴは塩付で道路向かいの酒屋にて一個30円で売っています)。ゆでタマゴは、心なしか黄身もふっくらして、塩なしでもとてもおいしかった・・・
夜10時頃、ふらりと前を歩くと地元の人とおぼしき人が、野菜などが入った買い物袋片手にのんびり腰掛けながら作っているのを見るなど、地元の人にとってはけっこう馴染みの場所のようです。あと、昼間は観光客がせっせと作っていました。
こういうのが本当の自然エネルギーの有効利用なんでしょうね。
 

NPOふうどの新発酵槽

埼玉県小川町のNPOふうどが、生ゴミ資源化プラントを新設しました(写真はその概観)。05年11月に旧プラントを閉鎖、05年12月に県から新規プラントの建設許可がおり、工事が始まったのが06年2月、6月にはほぼ完成しています。旧プラントと異なり、農業用地に農業用施設として建設されています。
地域住民が地域の資源を有効に活用し、循環型社会を作っていこうという取り組みは日本各地でありますが、このNPOふうどの取り組みは一つの普及モデルとなりうるものです。
基本的な仕組みは至って簡単で、家庭などからでる生ゴミを回収、その生ゴミをプラントに放り込み、液肥と副産物としてのメタンガスを製造するというものです。そして、液肥は地元の有機農家が使用し、再び地元の人が食する農産物となり、メタンガスは現時点では有効利用しにくいですが将来的には家庭などの熱源としての利用可能性があります。そして、この物質の循環の流れと逆方向に地域通貨をかませていこうというのが将来ビジョンとなります。すでに、伊万里はちがめプランでは一部実践していますが、NPOふうどの場合、有機農家の方が中心のNPOであり、堆肥ではなく液肥生産であることから、少し異なった展開になるかと思われます。
今回のプラントは、APバンクからの借入(400万円)と新たに組んだ市民ファンド(目標150口が230口=460万円集まる:募集期間06年3月5日から5月31日)を原資として建設されています。この発酵槽でできる液肥は制度上、現金で売ることができませんが、副産物販売や諸委託費用などで現金収入を得て10年間で完済する予定となっています。生ゴミの搬入は、一般家庭分(100世帯)は町から委託を受けている株式会社環境サービスが、学校給食(300世帯相当)は学校給食センター(約3,000人分/日配送)が行っています。ただ、地元の工務店で建設でき、維持ができるプラントということもあって、実際に完熟した液肥が安定して生産できるまでには1年ほどかかるそうです。ファンドやプラント自体はほぼ完成していますが、これからは地域社会での資源循環構築のための仕組み作り(個人的にはこれに関わる予定)と二号機プラント建設に向けての活動となるでしょう。

新発酵槽の写真についてはこちらをご覧下さい。
 

国頭村

9月中旬、沖縄本島の最北端の町、国頭村で入会権が一般廃棄物処分場の侵入を阻止した事例を調べに行きました(写真は処分場予定地に立てられた碑)。
国頭村は、おそらく天然記念物であるヤンバルクイナとノグチゲラなどの珍しい動植物で有名なのでしょうが、一方で沖縄県各地で近年起きている入会権に関わる裁判の中でも少し変わった位置づけの裁判が発生し有名でもあります。沖縄県で起きた裁判は、そのほとんどが軍用地からの賃料(軍用地料)の分配に関わるものですが、国頭村の事例はまったく異なるものです。
沖縄の林地は、本州などの日本とは大きく異なった歴史を歩んできています。1879年(明治12)、「琉球処分」という形で廃藩置県がなされ、土地整理事業が1899年(明治32)に公布された沖縄県土地整理法(法律第五九号)により、1899から1903年頃にかけて行われました。その結果、沖縄の主要な山林地であった琉球王府の御用山、杣山(そまやま)は、同法18条によって官有地となりました。
杣山が官有地に編入されたことにより、地元住民による乱伐が進み、山林が荒廃したことから、国は官有林を整理して、国有林経営に必要な山林とそうでない山林との存廃区分を明確にすることとし、1906年(明治39)に沖縄県杣山特別処分規則(勅令第一九一号)を公布、杣山のうち不要存置林については売り払うことができるようにしました(「杣山払下処分」)。その後、1915年(大正4)から1936年(昭和11)にかけて、公有林野整理、部落有林野統一事業が行われ、部落有から町村有に統一されています。
戦後、復帰前、琉球政府林野庁などは沖縄県には入会林野はないのではないかと考えていたそうですが、実際に調査をしてみると(中尾編『沖縄県の入会林野』)、各地に入会地が存在していたのがわかりました。沖縄では復帰前後からプロパンガスの普及などにより、林地の利用が限定されていき、入会の実態が乏しくなる中で、国頭村での問題が起きています。
細かい事件の経緯は別の機会にまわすとして、国頭村の関係者によれば、琉球王府、旧藩時代から山林の多くを入会利用してきており、山林が前記統一事業によって村有になった際に、『国頭村史』(1967年)にもふれられてもいますが、事実上、区民の入会権の存在を認めたいわゆる条件付統一地になったと言えるようです。そのような場所に地元の区の同意をとらず、処分場の設置を強引に進めようとした村側は、区民が起こした仮処分申請の結果が出る直前、予定地の立ち木を強引に伐採し、それを止めようとした区民がけがをするなど大騒動となりました。2001年10月3日、入会権(民法)ないしは旧慣使用権(地方自治法)が未だ存在していると沖縄地方裁判所が判断、建設中止の仮処分が認められ、村側の工事が完全に止まり、その後、一般廃棄物処分場は周辺三村(国頭村、大宜味村、東村)共同の形で国頭村宇嘉地区に建設されています。
入会権が開発行為に対峙する「地域の環境保全の砦」となっている例は全国各地で見られます。この沖縄県国頭村のH区の区民が村有地に計画された一般廃棄物処分場の建設をめぐり、外部の関係者も巻き込み入会権を主張してそこを死守したのはその好例と言えるでしょう。

参照:中尾英俊編『沖縄の入会林野』1972年、科研報告書『沖縄における近代法の形成と現代における法的諸問題』2005年

国頭村の風景などの写真はこちらをご覧下さい。
 

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