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- 執筆者: izumi
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9月中旬、沖縄本島の最北端の町、国頭村で入会権が一般廃棄物処分場の侵入を阻止した事例を調べに行きました(写真は処分場予定地に立てられた碑)。
国頭村は、おそらく天然記念物であるヤンバルクイナとノグチゲラなどの珍しい動植物で有名なのでしょうが、一方で沖縄県各地で近年起きている入会権に関わる裁判の中でも少し変わった位置づけの裁判が発生し有名でもあります。沖縄県で起きた裁判は、そのほとんどが軍用地からの賃料(軍用地料)の分配に関わるものですが、国頭村の事例はまったく異なるものです。
沖縄の林地は、本州などの日本とは大きく異なった歴史を歩んできています。1879年(明治12)、「琉球処分」という形で廃藩置県がなされ、土地整理事業が1899年(明治32)に公布された沖縄県土地整理法(法律第五九号)により、1899から1903年頃にかけて行われました。その結果、沖縄の主要な山林地であった琉球王府の御用山、杣山(そまやま)は、同法18条によって官有地となりました。
杣山が官有地に編入されたことにより、地元住民による乱伐が進み、山林が荒廃したことから、国は官有林を整理して、国有林経営に必要な山林とそうでない山林との存廃区分を明確にすることとし、1906年(明治39)に沖縄県杣山特別処分規則(勅令第一九一号)を公布、杣山のうち不要存置林については売り払うことができるようにしました(「杣山払下処分」)。その後、1915年(大正4)から1936年(昭和11)にかけて、公有林野整理、部落有林野統一事業が行われ、部落有から町村有に統一されています。
戦後、復帰前、琉球政府林野庁などは沖縄県には入会林野はないのではないかと考えていたそうですが、実際に調査をしてみると(中尾編『沖縄県の入会林野』)、各地に入会地が存在していたのがわかりました。沖縄では復帰前後からプロパンガスの普及などにより、林地の利用が限定されていき、入会の実態が乏しくなる中で、国頭村での問題が起きています。
細かい事件の経緯は別の機会にまわすとして、国頭村の関係者によれば、琉球王府、旧藩時代から山林の多くを入会利用してきており、山林が前記統一事業によって村有になった際に、『国頭村史』(1967年)にもふれられてもいますが、事実上、区民の入会権の存在を認めたいわゆる条件付統一地になったと言えるようです。そのような場所に地元の区の同意をとらず、処分場の設置を強引に進めようとした村側は、区民が起こした仮処分申請の結果が出る直前、予定地の立ち木を強引に伐採し、それを止めようとした区民がけがをするなど大騒動となりました。2001年10月3日、入会権(民法)ないしは旧慣使用権(地方自治法)が未だ存在していると沖縄地方裁判所が判断、建設中止の仮処分が認められ、村側の工事が完全に止まり、その後、一般廃棄物処分場は周辺三村(国頭村、大宜味村、東村)共同の形で国頭村宇嘉地区に建設されています。
入会権が開発行為に対峙する「地域の環境保全の砦」となっている例は全国各地で見られます。この沖縄県国頭村のH区の区民が村有地に計画された一般廃棄物処分場の建設をめぐり、外部の関係者も巻き込み入会権を主張してそこを死守したのはその好例と言えるでしょう。
参照:中尾英俊編『沖縄の入会林野』1972年、科研報告書『沖縄における近代法の形成と現代における法的諸問題』2005年