フィールドトリップ

埼玉県小川町のNPOふうどの新発酵槽(2006年9月)

かれこれ4度目になりましたが、NPOふうどの取り組みは見に行くたびに勉強になります。今回は、私自身も出資した新発酵槽の見学と、新発酵槽を軸とした地域資源循環構築のための仕組み作りのワークショップ(勉強会か)を行いに行きました。

旧プラントの概観。いかにも手作りといった感じですが、液肥もメタンガスも順調に生産し続けました。05年11月、新プラント建設決定に伴い、解体されています。

新発酵槽の内観。まだメタンガス用のバッグが設置されていないので、けっこう空間が空いています。コンクリートの上部ラインが地表面と同じ高さとなっています。生ゴミの投入がしやすいように半地下式となっています。

投入口部分で粗粉砕して、そのあと写ってはいませんが写真左手にある微粉砕器(マスクローダー)にかけてから、発酵槽に入れられます。人間の口に入れられるものなら原則なんでも分解できますが、繊維が長いもの、トウモロコシの皮などは微粉砕しても繊維が残り、発酵しきれなく、故障の原因のなるようです。

発酵槽。ゴム製の袋です。最初に大量の水(13トン)を投入し、膨らませてから生ゴミを投入することになります。

発酵槽を覆う建物は地元の杉の間伐材を使用して作られたものです。屋根には、別途ファンドを組んで、太陽光電池がのっています。その電気を用いて粉砕器等が動きますし、余った電気は東京電力に売電されます。

建物周辺に樋から流れてくる雨水をためるための雨水タンクがいくつも設置されています。この発酵槽は単独で機能するようにデザインされているため、発酵槽自体に入れる水(循環水)や発酵槽の下に流れる温水などはここから供給されます。

沖縄県国頭村での現地調査風景(2006年9月)

沖縄本島の最北端のマチ、国頭村で入会権と共同店の調査におもむきました。初の沖縄入り、加えて台風が接近してくるなど、かなり刺激的な第一回目の調査でした。

那覇の新都心からレンタカーを借りて現地に向かう。途中、名護市までは高速道路に乗って移動したのですが、道路沿いの琉球松はほとんど立ち枯れ状態。国頭村を含め一部の地域は対策がとられ、松枯れは起きていないそうですが、名護市まではかなりひどかった。

三枚肉がのった沖縄そば(500円)。名護市でも有名な店(「宮里そば」)のようで、けっこう混雑していました。

本島最北端の岬。取り立てて何もなかったですが、写真の右側真ん中当たりに「ヤンバルクイナの像」というちょっと恐ろしげな?像が建っているのが気になるぐらいでした。

今回は共同店についてはほとんど調査はしませんでしたが、これが去年100周年を迎えた奥共同店。沖縄で初めてできた共同店です。元々あった場所は、写真左手の奥で、ちょっと道路から離れています。ちょっとしたコンビニ的な品揃えで、収益を区で分配するなど地域自治の中核的な施設です。

道路のあちこちに立っている「ヤンバルクイナ注意」の標識。夕方、けっこう車を走らせましたが、今回は目にすることはできませんでした。

国頭村楚洲に立てられた風力発電設備(1,800kW*2基、沖縄新エネ開発)。何もないところに急に現れるので、けっこうビックリします。

今回、宿泊した民宿海山木(みやぎ)の食事をする建物。一泊2食付き5,000円でたいおう贅沢な食事が出てきます。泡盛が好きでここに泊まる人は、久米仙(30度)一升ビンを必ず持って行きましょう。民家の屋根は、琉球竹。今やとても高く、なかなか採れないので、吹き替えが大変だそうです。

村が処分場を建設しようとした場所。仮処分申請中に強制的に立ち木を伐採したので大きな木はないですが、すでに植物が繁茂。ある意味、5年経った今、原状回復しています。谷底が埋立地、山の上にリサイクルセンターを建設予定だったそうです。

本島は台風の直撃は免れましたが、海は大時化でした。沖縄の車は、まめに洗車しないとすぐにさびてくるのがよくわかります。

06年今治市関前岡村島&大下島でのゼミ夏合宿

今年でゼミとしては3回目、個人的には5回目の入島です。昨年は、地域の生活を維持するための各施設、淡水化プラントやゴミ焼却場などを見て回りましたが、今年は離島の人々の生活の実際を聞いてまわるということを中心に行いました。ちなみに離島にとって最重要なライフラインは、水道、電気、航路だそうです。

今治港からフェリーで約1時間(片道760円)。しまなみ海道をくぐりながら、島に向かっていきます。

もうすぐ入港です。岡村島は、広島県側にはスーパー農道を通じて、大崎下島とつながっていますが、愛媛県とは船でしかつながっていません。2年後には、岡村島は本州と陸続きになる予定です。

到着初日の午後は、地元の漁師の方のご協力の下、3隻の船に分乗して、大三島付近で釣りや素潜りをしました。岡村の漁師は、かなり広い範囲の漁業権を持っていますが、生活はなかなか大変なようです。

30名が泊まった自炊・素泊まり施設(公設の農村交流センター)の目の前にある地元の海水浴場。意外と岡村島周辺には、整備された海水浴場がなく、日中は周辺の子ども達が泳ぎに来て賑やかです。

岡村島から小大下島経由で20分、フェリーに乗って大下島に上陸。大下島は、宗教的な意味合いなどで漁業は余り盛んではなく、主に農業(温州ミカンの栽培)で生計を立ててきました。が、ミカンの値段の大暴落で、現在は経済的には厳しい状況です。大下島では、まず地元のお寺(浄土真宗)の住職さんのお話を聞きました。このお寺は、江戸時代、今治のお寺から住職が来て建立したようです。岡村島は今治藩領、大下島は松山藩領だったことなどから、同じ旧・関前村とはいってもいろいろ異なっています。ちなみにこの島の住職さんは、29歳と非常に若いです。

住職さんのお話を聞いた後、学生を6つのグループに分け、各家庭にお邪魔して簡単な聞き取り調査を行いました。季節柄、テングサを洗って乾燥させている光景があちこちで見られました。現在、テングサだけでなく、イギス(海草の一種)やヒジキなどがなかなか良い値で取引されるそうです。

集落より小さい単位の「講」毎に神様がまつられています。神社の本殿の側に各「講」の小さな社があり、頻繁にお祭りが行われているようです。ただ、仏教の単位の「講」がなぜ神社の単位と重なっているのかは、今回はよくわかりませんでした。

宿泊所に戻り、その晩、各グループが聞き取り調査の結果を報告しました。学生にとっては、血縁関係になくても同じ名字だというだけで、擬似的な親戚関係を結ぶ制度に興味が引かれたようです。

昨年に続き、郷土料理教室もひらいてもらいました。今年は、イギス豆腐をメインにして、ところてん、そうめんウリのサラダ、タコぶつなどを一緒に作りました。特にイギス豆腐は、非常に珍しく、とても興味深い味でした。ただ、食べるのに気をとられ、イギス豆腐自体の写真を取り忘れてしまいました・・・

 

05年に関前村は今治市に吸収合併となり、そして岡村島は2年後に陸続きに、大下島にも橋の建設計画が出るなど、地域状況がちょうど大きな変化の時期に直面しているので、来年以降、より集落や家庭に密着した内容に重点を置いた調査を組み込んでいく予定です。

寺家ふるさと村(06年度)の農業実習(2)

 

田植えが無事に終わり、あとは真夏まで除草に専念することになります。無農薬なので、とにかく初期除草が肝心です。

2006年6月(1):除草と追加の田植え

空から鴨が舞い降りてきます。田んぼをつっついて、虫や雑草を食べてくれますし、根に空気を行き渡り、稲に生育にはプラスです。ただ、合鴨農法ではないので、鴨がいつ来るかわからなく、ほとんどあまり当てにはなりませんが。

田植えから2週間が経ちました。日照不足で生育状況は必ずしも良くないですが、水の問題はないので、夏にちゃんと晴れれば問題ないでしょう。雑草もちらちら顔を出してきています。

稲の根本をしごきながら、雑草を浮かしていきます。水が浅いところは、雑草もかなり多いので、引っこ抜く感じになります。

苗代だったところを手押しの耕耘機で木村さんがならしているところです。去年から田植えをしているところなので、土はかなりやわらかいです。

耕耘機をかけた後は、手作業です。「トンボ」で、できるだけ水平になるようにならしていきます。

おおよそ水平になったら、田植えです。慣れてきたので、ロープを張らず、目分量で植えました。

2006年6月(2):第二回の除草と竹伐り

除草は地味で大変な作業ですが、とても重要な作業です。初期除草をしっかりしておけば、ほとんど雑草がはえません。

結局、人数が多いので、7枚ほどの田んぼの除草をしてしまいました。もし、この除草を一人ですることを考えるとゾッとします。専業農家でやっていくのは本当に大変なことです。

男子学生10名ほどは、周辺の里山の雑木と竹伐りをしました。かなり伐りましたが、それでも田んぼの隅は陽が当たりにくいです。この里山にはなぜか漆の木が結構あります。冬に根を切って枯らしてから運び出さないとひどい目に遭います。

2006年7月:第三回の除草

3週間ぶりに圃場に戻ってきました。稲の生育はまずまずですが、湧き水がどうも不足気味で、十分水が行き渡っていない田がありました。そのような場所では、やはり雑草がはびこりやすいです。

水が十分なところは、初期除草の成果もあり、あまり雑草がはえていません。

天気は曇りでしたが、湿度が暑く、ねっとりした感じの中での除草作業でした。

無農薬の田んぼのため、田にはカエル、オタマジャクシ、ヤゴ、ザリガニ、タニシなど様々な生物がいます。それらの生物を狙ってか、ヘビが現れました。

畦にはどこから種が飛んできたのでしょう、一輪のユリが咲いていました。

2006年9月:稲刈り

種の選別を間違え「コシヒカリ」を植えてしまったので、3週間ばかり早い稲刈りです。今年、休耕田を開墾し、田植えしたところは出来がやはり今一つですが、全体的にはあまり問題がなかったです。

すべて刈り取りした後。ぬらした藁で手のひら大にまとめて、はざかけをします。

寺家ふるさと村では、慣行農法でもはざかけをするところは多い。ただ、ほとんどところの「はざ」は金属製で組み立てが簡単ですが、私たちは里山の竹をきって作りました。水平に倒れないように作るのはちょいとばかし難しいです。

はざかけ終了。1ヶ月弱後には、精米した新米が食べられるでしょう。

稲刈り後は、近くの里山でBBQパーティー。

食材の多くはスーパーから調達しましたが、食器とコップ、箸は竹を切り出して作りました。使用した食器などは乾燥させた後、BBQの燃料に使えば良いのでとっても有効利用です。

足尾銅山

2006年も5月の第三土曜日・日曜日に新ゼミ生11名と3年生のゼミ生の一部(5名)を連れて、足尾銅山煙害・鉱毒事件に関係した場所を訪れ、NPO足尾に緑を育てる会の作業デーに参加しました。ここ4年ほど毎年同じ時期に訪れているが、良い意味でも悪い意味でもあまり変化はしていない・・・

渡良瀬遊水地。ずっと遊水「池」だと思っていたが、正しくは「地」だった。思いこみは怖いものです。今年は天気が良く、ウィンドサーフィンをしている人が多かった。

足尾精錬所の門の前でパチリ。昨年と異なり、そこら中に立ち入り禁止のロープが張られていました。来年来た時には取り壊されているかもしれません・・・

足尾精錬所を裏から撮った写真。年々朽ち果てているのがよくわかります。産業考古遺跡として保存すべきなのでしょうが、足尾町が日光市に吸収合併となってしまった今、なかなか保存のための動きがとれないのかもしれません。

NPO足尾に緑を育てる会が植林活動をしている山。国土交通省が整地。あとはNPOの仕事です。5月はほぼ毎日、関東圏を中心に小中学校が体験植樹に来ています。

子ども達が体験植樹をするために必要な資材、腐葉土・赤土・添え木等々を運ぶ作業をしました。

苗木を移し替える作業もしました

育てる会のメンバーと一緒にパチリ。皆さん、とっても元気で情熱にあふれています!

毎年お約束の小登山後の景色。未だ現役の簀子橋堆積場。はげ山以外でも鉱毒事件の名残が未だに残っています。

寺家ふるさと村(06年度)の農業実習(1)

横浜市青葉区にある寺家ふるさと村(寺家町)。2005年度から無農薬、無肥料稲作をしている木村さんのお世話になって実習をしています。今年度も引き続きゼミで農業実習をすることになりました。昨年よりも一枚増えて、三枚の田圃での作業と周辺の里山保全活動をしていきます。三枚のうち二枚は、昨年、耕作放棄地を再度開墾し直したのですが、水路作りなどが田植えまでにできず、作付けをあきらめたところです。

2006年3月:開墾など

06年、最初の作業。昨年から開墾を始めたところの作業がメインです。

谷津田なので、周りの里山にはえた竹などを切り取るのは重要な作業です。切り出したものは、その場で燃やしてしまいます。

昔は春先の風物だったのでしょうが、今は里山で竹を切ったりする人も少なく、ふるさと村周辺ではほとんど見られません。

水路作りとくろづくりもしました。昨年と違いかなり水が引いていたので、足場がよく、作業はしやすかったです。それでも半日で一枚しかできませんでしたが。

2006年4月(1):苗代作りと種まき

前の晩から水を引き込み、トロトロのムース状の土になっています。水平にならし、畦切りをして種まきです。

今年も古代米系の「栄光」を植えます。種まきの後、カラスなどに食べられないように、種を土に押し込んで見えないようにします。例年よりも気温が低く、日照不足なので、無事に苗なればいいのですが。

2006年4月(2):開墾など

苗代は鳥除けのために網が張られています。ただ、雀は編み目を通り抜けてしまうので、種をつついたりしています。「舌切り雀」にでてくるお婆さんの気持ちもわからなくもありません。

種まきをして約3週間。根と芽が出始めています。若干、生育が遅いですが、5月下旬の田植えには間に合いそうです。

くろづくりを続行しました。あとは手押しの小型の耕耘機をいれて、雑草の根切りなどをします。

2006年5月:苗とりと田植え

本当は田植えの前日に苗とりをするのですが、雨のため中止。田植えと並行して苗とりもしました。

苗代から苗と半ば強引に取り、根の泥を洗い落とします。その後、一握り程度にまとめて稲藁でしばります。

今年もロープを張って田植えをしました。日照不足というマイナス面もありましたが、雨がよく降ったので水の問題はありませんでした。わき水を使うだけに、雨の具合は気になるところです。

結局、ゼミの田んぼ二枚(一枚は苗代に使ったので後日の田植え)と木村さんの田んぼ二枚の田植えをしました。

地域通貨ピーナッツの自主事業化粧品「花」発表会

JR西千葉駅を中心に展開している地域通貨ピーナッツは、1999年から始まった日本でも数少ない持続的に取り組まれている地域通貨です。05年12月現在、約1100名もの会員がいて、地元の商店、有機農家、大学などを巻き込み、様々なプロジェクトが動いています。今回、ピーナッツの自主事業として化粧品「花」が売り出されることになりました。

12月14日、化粧品「花」の発表会会場となった手作り鞄のお店Jiro。通常、代金の5%をピーナッツで受け取っています

千葉大生やゆりの木商店街の店主、ピーナッツ会員が集まり、参加型で開発された化粧品。左から、化粧水、クリーム、洗顔料。どれも化学薬品を用いず、有機材料のみ、無添加化粧品です。

「花」のロゴは、千葉大生のデザインです。画面では見にくいですが、ハートのマークがポイントかな。

化粧水、クリーム、洗顔料、どれも一個の参考価格2800円(+消費税)です。この商品のポイントは、購入代金の一部に地域通貨を使うことができ、1個購入されるごとに300円が活動支援費として後日、販売元(有)アミーゴジャパンから地域通貨団体に寄付されることです

発表会の一コマ。化粧品の製造元(株)レイビスパークの社長さんが効能について説明しています。

西千葉のアイドル松尾くんが、「花」のテーマソングを作って、初お披露目。二枚目のシングルにのるそうです。化粧品「花」の購入についてはここをクリックしてください。

今治市関前岡村島でのゼミ夏合宿

05年8月、今治市関前岡村島にゼミ生を引き連れ、夏合宿を行いました。昨年は、関前村(岡村島、大下島、小大下島)だった行政区分が、この平成合併で、2005年1月に今治市に吸収されました。岡村島は、今治港からフェリーで約50分のところにあり、面積2.95平方キロ、人口約600人、高齢化率45.8%で、船でしか島にはいることはできません。ミカンと漁業が主な産業です。

もうすぐ入島。岡村島の玄関です。港の左手には、漁業組合の倉庫や特定郵便局、関前支所などがあります。

11時50分に今治港を出港。約50分の船旅を経て、岡村港が見えてきました。

お酢を加えて、煮詰めていき、最後に漉します。天草を採取した場所によって、煮詰める時間も違うそうです。今回は20分程度。

初日の午後は、島の奥様方が地元産の「天草」を使って、ところてん作りを実演してくれました。寒天ダイエットのブームのため、天草の値が高騰しているそうです。

地元でとれた天草。ゴミをとったり、天日で干したりと、かなりの手間がかかるそうです。

岡村島の町中。平地が狭いため、住居は密接しています。軽トラが何とか通れるぐらいの道幅。

2日目の午前中は、島内にある海水淡水化プラント(東レ製)の見学。1997年に設置され、それ以降、ほぼ断水がなくなったそうです。写真は、取水口。

島中に栽培されているミカン。10月頃に収穫されるので、まだ青々していました。昔はミカンだけで年収1,000万円を稼ぐ人もいたそうですが、今はとても厳しいそうです

岡村島に3軒程しか残っていませんが、鏝絵(こてえ)のある家屋です。左官職人による民衆芸術というところでしょうか。なかなか白壁に映えています

宿泊所前に広がる島唯一のビーチ。朝から近隣の小学生などが集まり、とてもにぎやか。ゼミ生も暇?を見つけては飛び込んでいました

宿泊した農村技術交流研修施設。港から徒歩約15分。30人程度が自炊、宿泊できます。

午後からは、衛生組合を訪問。岡村島などの旧関前村の廃棄物は、隣島の大崎下島(広島県呉市)で処理されています。専用船で収集、運搬し、最終的には広島県側の無人島に埋立

三日目はちょうど旧暦の6月30日。地元の神社、姫小島神社では、輪越まつりの開催日でした。祭りの前にちょっと見学

三日目の午後は、地元の方に漁船に載せてもらい、大三島沿岸に。素潜りでのサザエ取りに挑戦。

よく学び、よく学び、よく遊べ?

ガーンジー島

UKに外交と防衛を委任している王室直轄属領ガーンジー(Bailiwick of Guernsey)ジャージー(Bailiwick of Jersey)に2005年8月に訪れた。イギリス海峡のフランスにほど近いところにあるいくつかの島からなる政府である。どちらの国も、非常にユニークな歴史を持ち、特に今回の調査対象だが独自の通貨(State Money)を発行している。

ガーンジー島の空港玄関。63平方キロと小さい島(三宅島大)だが、昔から観光地として栄え、さらにタックスヘイブンの地のため金融業が盛ん。

首都セントピーターポートのプロムナード。人口は約1.7万人。干満の差が激しく、フランス側のサンマロでは大規模な潮汐発電が行われています

首都にあるCastle Cornet。島の総督と城主が異なり、度々、争いが起きている。1940〜45年にかけては、ドイツ軍が島と共に占拠。

Guernsey Museumでも独自の政府通貨とドイツ占領時代の緊急通貨が展示されていました。通貨の発行は、経費を除き政府の歳入として繰り入れられます

首都セントピーターポートは、少し歩けばすぐに急な坂。路地はこのような狭い階段が多い。

セントピーターポートの港は、ゴージャスなヨットであふれている。基本的には金持ちしか移住を認めていない国。

農業も若干だが存在。主に花卉栽培。道端では、低価格でヒマワリなどが売られていました。あと、競走馬の飼育も盛ん

島の東部にあるLihou Islandが遠方に見える。干潮時、本島から徒歩で行くことができる。野鳥の王国らしい。

ガーンジー政府は、本島の他に写真のHerm、Sark、Alderneyの各島からなっています。Sark島は、未だに世襲制の領主がいるらしい

今回、資料収集でお世話になったPriaulx Library。工事中で概観はわからないが、内部は重厚な作り。コピー機が故障して、苦労しました

島の至る所にFootpathがあります。"Cliff Path"なるところも多々あり、散策の楽しみにつきない

ジャージー島

ジャージー島は、ガーンジー島の南東に位置する面積115平方キロ(ガーンジー島の約2倍)、人口約9万人の島。観光業と金融業が主な産業だが、農業も盛ん。ジャージー産の製品であることを非常に強調して販売している"The Genuine Jersey"。ガーンジー政府と同じく、VATがない。

ガーンジー島を出航。フェリーでジャージー島にわたる。1時間足らずで到着。

ジャージー政府の首都St. Helierにあるジャージー博物館。こぢんまりしているが、非常に見やすい展示をしている。

中心部にある"The Market"。19世紀の建築。中には、地元産を扱う八百屋、肉屋など多彩な店があり

St. HelierにあるElizabeth Castle。干潮時は、歩いて城に入れるが、基本的には船でないと入れない。中世からの城

城の中では、未だに羊が飼われている。観光地化した現在でも、羊を飼うことで城内の環境の変化を抑えようとしている

1940〜45年にかけてのドイツ占領時代に要塞化され、姿が一部変わってしまった。見張り台の頂上には、ジャージ政府の旗ではなく、やはり?UKの旗。

公共駐車場や大規模施設の駐車場ではよく見かけた雑誌新聞専用のリサイクルボックス。1ヶ所に10個近くあるのは謎。ちなみにレジ袋は無料

ジャージー島でもっとも有名な施設かもしれない通称ジャージーズー。絶滅危惧種を中心に繁殖と保護などを行う施設に付属して動物園があります

Gerald Durrellが1959年に設立。ゴリラとオランウータンの繁殖に成功している。世界中から研修生を受け入れ。動物園とはどうあるべきかを考えさせられます

ジャージー島に関する資料(書物、映像、音楽等)を集めたJersey Archive。2000年に設立され、資料の検索システムや保存方法など非常に優れている

日本の公共の図書館資料館と比較したら、司書も含めて雲泥の差かも。政府通貨の歴史資料も様々あり、今回の訪問では半分ぐらいしか目を通せず、残念。

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