フィールドトリップ

足尾銅山

05年5月の第四の土曜日、日曜日と新ゼミ生を引き連れ、足尾銅山煙害鉱毒事件に関連した場所を訪問しています。「百聞は一見にしかず」とは使い古された言葉ですが、環境問題を考える上で足尾の公害については本を読んで学ぶだけではなく、一度は見ておくべきでしょう。今年は院生も含め15名で行きました。

朝8時に東武浅草駅を出発。最初の訪問地「藤岡町歴史資料館」にて渡良瀬遊水地と田中正造の話を聞いた後、遊水地に移動。

渡良瀬遊水「地」は33平方キロ。訪れたのは、渡良瀬貯水池。旧谷中村に作られ、現在では渇水時の農業用水等、渡良瀬川の増水時の貯水で使用

貯水池の水を浄化するためのヨシ原。土壌中の銅濃度は通常よりも高いようだが、特に生育障害は見あたらなかった

旧足尾鉄道(現わたらせ渓谷鉄道)の線路跡。昔は製錬所まで通じていましたが、現在は間藤駅まで。Stand by Me

1890年に竣工した間藤水力発電所の名残。用水を落とす直径一メートルの鉄管

足尾製錬所の工場跡。現在は完全に閉鎖されています。産業遺跡として保存するには費用がかかりすぎるようです

渡良瀬遊水地を訪問した後、日光を経由してバスの乗り継ぎ、山越えで足尾町に入る。足尾製錬所の前でパチリ

宿泊した「亀村別館」。温泉で疲れた筋肉をほぐす。宿の裏手には庚申神社、すぐ近くには中国人殉難烈士慰霊塔があり

2日目の午前中は、NPO法人足尾に緑を育てる会のお手伝い。昨年と同じく、大畑沢の道路沿いにツツジを植える作業

NPOが植林作業を初めて約10年。少しづつですが、緑が戻りつつあります

植樹するために地面に深さ50センチぐらいの穴をあけます。ただ、大きい石や土止めのための針金が出てきたりとなかなか大変

簀子橋堆積場午後からは、堆積場を見るために登山する組と「足尾銅山観光」の訪問組に別れる。登山して現役の簀子橋堆積場を覗く。見た目から毒々しいスラッジを貯蔵。

帰りは、通洞駅からトロッコ列車に乗り、全員で相老駅や桐生駅に移動

伊万里はちがめプラン見学

伊万里はちがめプラン見学

佐賀県伊万里市にあるNPO法人伊万里はちがめプランは、家庭や飲食店などから出る生ごみを資源(堆肥)として循環させることで、環境保全型農業や地産地消を推進し、域内交流を活発化しようとしています。

JR伊万里駅前。駅周辺の飲食店65店舗や家庭約210世帯が、生ゴミ回収に協力しています。

駅構内にある観光案内所では、はちがめプランの「堆肥」を販売していた。すでに伊万里名物!?

駅から徒歩30分ぐらいにある「生ゴミステーション」。行政が回収するゴミの保管所の横のポリバケツに入れる。週二回の回収。

別の生ゴミステーション。廃食油の回収も同時に行っています。廃食油からはBDFを精製

伊万里はちがめプランの理事長の福田さんのお店。このお店の生ゴミも堆肥に。地域通貨ハッチーは20%まで使えます

廃食油からBDFを作る機械。飲食店、家庭、老人ホームなどから出るもので作り、販売。これも20%までハッチーが使えます。

BDFを作る機械の隣の部屋にある菜種油を作る機械。はちがめ堆肥で作られた菜の花から取り出す。菜種油は、家庭等で使用され、その後廃食油として回収。BDFとなります。

はちがめプランの堆肥を作る施設。手前が堆肥を熟成させる施設、奥がレーン式の中期醗酵施設。

持ち込まれたばかりの生ゴミと有機性残渣。毎日切り返しを行い醗酵させます。一日約1.7トンが持ち込まれる

出来た堆肥を袋詰めする施設。1.7トンの生ゴミから約700キロの堆肥が出来る。10キロ300円で販売。もちろんハッチーも一部使えます

地域通貨ハッチー。生ゴミ回収に協力している家庭に年30ハッチー、菜の花畑の刈り取り等に一回500ハッチーを配布。裏には、使用日と名前を書くようになっています。

はちがめふれあいステーション風道。はちがめ堆肥や、堆肥で作られた有機農産物を直販しています。もちろんハッチーも一部使えます。

ふれあいステーションの内部。農家が直接持ち込んできます。

 

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香川県豊島の産廃不法投棄現場(2004年9月)

豊島の産廃の不法投棄は、1990年、兵庫県警の強制捜査により搬入が止まるまで10年以上続きました。投棄廃棄物量は、体積で約46万m3、湿重量で約56万トンと推定され、現場からは鉛、ダイオキシン、PCB、ベンゼン、ヒ素等の有害物質が大量に検出されました。その後、約455億円をかけて、廃棄物の撤去ならびに直島での処理をしています。(撮影2004年9月)

不法投棄現場の遠景。表面的にはもうかなり撤去されています。

 

直島へ搬出する前の廃棄物に白いフタがしてある

雨水がしみこまないように搬出されていない部分は白い防水シートがかかっている。ただ台風16号18号で飛んでしまった

直島の中間処理施設に運ぶために廃棄物をコンテナ等に詰め込む中間保管梱包施設

雨水等が海へ直接流れ出さないようにこの高度廃水処理施設にいったん集める。

投棄現場の海に面している側。防水シートが張られ、フェンスがたてられている

廃水処理施設の能力をオーバーした排水が一時的に保管される

搬出専用のトラック。密閉式のよう。

不法投棄現場の反対側の海岸線。遠目にしか見えないが、きれいな砂浜。

イギリスとアイルランドのコモンオープンスペースを見る(2)(2004年8月)

イギリスとアイルランドのコモンオープンスペースを見る(2004年8月)

8月9日→

ロンドンから列車で約2時間。広大なオープンスペースであるニューフォレストの光景。この日は雨だった

放牧されている牛などが出て行かないようにゲートがある。管理はフォレストリーコミッション。

8月10日→

バッキンガム宮殿から始まるThe Mall。ボストンにも同じ名前の通りがある。どちらが先?

BOE本店。付属の資料館は日銀と比べてとても充実していました

ロンドン近郊のウィンブルドンコモンの入り口付近。遊歩道(Public Footpath)の道標です。

遊歩道のはじまり。自転車も走ってはいけません

ウィンブルドンコモン内を散策。ぼんやり歩いているとすぐに迷子になります。

ウィンブルドンコモンにはゴルフ場もあります。

8月3日から10日までの、スカイ島およびロンドンのコモン、オープンスペースについては、2005年3月発行の『専修経済学論集』(泉留維三俣学室田武著)にて詳細を報告しています。ご興味のある方はこちらにご連絡ください。抜き刷りを郵送します。

イギリスとアイルランドのコモンオープンスペースを見る(3)(2004年8月)

イギリスとアイルランドのコモンオープンスペースを見る(2004年8月)

8月11日→

ロンドンから飛行機でマン島の中心地ダグラスに入る。海辺のプロムナードはとても美しい。

マン島銀行本店。20世紀中頃までは独自の銀行券を発券していた。現在は、島政府が発券

マン島は英国王室直轄属領。UKには属さず、内政に関しては独自の道を行く。これは裁判所

マン島博物館。付属の図書館は地元の資料が豊富。とてもお世話になりました

8月12日→

マン

ダグラスから蒸気機関車に乗り、キャッスルタウンに移動。地元の会社が運営し、夏季限定。

キャッスルタウンにある中世の城。以前はマン島の首都であった場所

城の頂上から見たキャッスルタウンの風景

8月13日→

世界最古の議会といわれるティンヴァルトの跡地。約1,000年前の歴史がある。

ダグラスとは反対側の町ピールの教会跡。ここのエリアでは野外でも飲酒が可とあった。なぜ?

ピールの小さな漁港。マン島名物ニシンの薫製(キッパー)の工場が散在。キッパーでビールを一杯。

8月14日→

朝一の飛行機でアイルランドダブリン入り。とてもおいしいギネスビールの本社工場が見える

ダブリンの町中にあったゴミ箱。ガラスは色別に収集するようだ

セントパトリック公園の注意書き。アルコールだめ、ドラッグだめ、ボールゲームだめ等々の禁止事項の羅列

8月15日→

ダブリン市街にある巨大な公園フェニックスパーク。あまりにも広大な都市公園で徒歩ですべてを見るのは困難

フェニックスパークの中央通り。せっかくの緑豊かな公園なのに、中央に車道を設けるのはとても疑問。

8月16日→

電車がうまくとれず、やっとこの日からアイルランド西部の島スカイ島に向かう。まずウエストポートまで移動する

ウエストポートの町並み。ここからバスでスカイ島に入ります

ウエストポートでの昼食。毎回こんなものです。ビールはおいしい。キルケニー(KILKENNY)がよかった

夕方にやっとアキル島に入る。日が沈むのは9時頃なのでまだまだ明るい。泊まったB&B近くの丘

細長い土地で羊を放している。両隣の土地はおそらく休ませているのだろう。見たことがない草が繁茂。

8月17日→

宿泊したB&Bのアイリッシュブレックファースト。とてもヘビー。この日からコモネージなどの調査開始。

アキルサウンド付近のピート(泥炭)採掘跡。地面を掘ればピート

アキルサウンドの隣の集落キャセールの小川の水。ピート採掘跡に溜まり、あふれた水が流れ込んでいると思われる。おそらく強酸性。生物は見られず。

同じくアキルサウンド付近のピート採掘跡。雨水が溜まり、その水にピートがしみ出している

キャセールで牧草を運んでいるところを見ました

キャセールから海岸沿いを見た風景。かなり潮が引いた状態です。

ピートの山。こういう山がそこら中にあります。乾燥させ、その後袋詰めにして保管します

袋詰めされたピート。今でも家庭用燃料としても用いられています

キャセール近郊の丘からアキルサウンド方面を見下ろす。

イギリスとアイルランドのコモンオープンスペースを見る(1)(2004年8月)

イギリスとアイルランドのコモンオープンスペースを見る(2004年8月)

2004年8月3日から18日にかけて、イングランドスコットランドマン島アイルランドのコモン、オープンスペース、地域貨幣などの調査をしました。

8月4日→

ロンドンからエディンバラに向かう列車の中から。おそらく火力発電所のクーリングタワー。

ヨーク駅。歴史ある駅舎は非常に良い雰囲気を醸し出している

エディンバラ駅。ここで乗り換えて、本日の宿泊地グラスゴーへ向かう。

グラスゴーからスカイ島(Isle of Skye)へバスで向かう。景色はとても美しい。途中「グレンコーの虐殺」があった峠を通った。

観光名所ドーニエのEileen Donan Castle。バスから眺めただけだった。

スカイ島の中心地ポートリーのバスターミナル。猛暑の日本とは違い、快適な気候。

ポートリー市街地から最も近いフットパスの道標。民間団体が作っている。ゲール語です。

8月5日→

フットパスを歩き、丘の上から見た光景。サーモンと思われる養殖用の囲い

非常に美しい牧草地。牛が悠々と草をはんでいます。

スカイ島中に繁茂し、問題となっているブラッケン。乾燥させると良く燃えます。

8月6日→

私有地と共有牧草地の境。上部が共有牧草地。

19世紀に行われた植林。山には現在、まばらにしか木がありません。

スカイ島、いや世界的にも有名な蒸留所タリスカー。とってもおいしいスコッチです。

スカイ島のクロフター(借地農)の復元された住居。予約をすれば泊まることもできます

ハイランド清掃で追い出されたクロフターの住居跡

8月7日→

社会問題化しているスカイブリッジのゲート。ほんの数百メートルの橋なのにとても高額な料金

スカイ島からインヴァネス経由でロンドンに戻るところ。インヴァネス市街とネス川。

8月8日→

この日から、ロンドンエリアの調査開始。ホテル近くの囲い込まれた私庭園。

自治法人ロンドンが管理するオープンスペースの一つ、ハイゲートウッドの入り口

ハイゲートウッド内の小道。オークなどの木に囲まれ、快適な散歩やジョギングができる。

ハイゲートウッド内のプレイグランド。ロンドン中心部から非常に近いので、利用者も多い感じ。

ハイゲートから徒歩で行けるオープンスペース、ケンウッド。上半身裸で昼寝する人、人、人。

ハムステッドヒースのパーラントヒルからの眺望。ロンドン中心部が一望できる。

ハムステッドヒースにあったポラード式の萌芽更新。

ゼミの合宿の様子(平成16年度)

 

平成16年度のゼミでは、計三回の合宿をしました。5月に足尾銅山付近で一泊二日、9月に離島である愛媛県関前村で二泊三日(台風が来たため一日早く終了)、05年3月に新ゼミ生との交流を兼ねたゼミ論発表会を伊勢原の大学の施設で一泊二日です。

2004年5月に実施した足尾銅山合宿の光景

一日目は、旧谷中村跡である渡良瀬遊水池や地元の資料館を見学して後、バスで栃木県足尾町に入りました。写真は足尾の山々

宿泊した銀山平にある亀村別館。温泉付き。実は通洞駅前の民宿を予定していたが、最近閉めてしまって泊まれなかった。

足尾銅山精錬所。現在は操業していませんが、つい最近まで輸入鉱石で製錬はしていました

精錬所入口でパチリ

足尾の緑を育てる会の方達との共同作業。道路沿いに植林をしています。

 

2004年9月に実施した関前村合宿の光景

手前の島が宿泊した関前村(人口900人。今は今治市と合併)の岡村島。ぼんやり見える砂浜の近くに泊まりました。

食事はすべて自炊。離島なので、事前に今治市のスーパーで買い込んで島に入りました。

地元でとれた海の幸。お世話になった皆さんに感謝。

岡村島から船で数分のところにある小大下島で、石灰採掘について地元の人に聞きました。島は採掘された結果、ちょっといびつな形になってしまいました

霞ヶ浦北浦のアサザプロジェクトの実際 (2004年2月)

 

茨城県の霞ヶ浦、北浦で展開されている自然回復型公共事業。NPO法人アサザ基金を中心にして行われています。

石川小学校のビオトープ。環境教育として用いられている。管理は結構大変なよう。

霞ヶ浦石川地区の植生帯復元事業地。粗朶による消波堤を設置して波を和らげ、魚類を住み着きやすくしている。

山王川ビオトープ。三面張りの川に生物が住み着きやすいようにしています。

石川地区事業地にある案内板。国土交通省が高らかと宣伝している。

鉾田町野友森林保全地。ここの雑木の枝が粗朶消波提の原料となります

野友地区の谷津田。同じような谷津田は霞ヶ浦周辺に昔は多く存在した。

北浦吉川地区の植生帯復元事業地。

レンコン畑。霞ヶ浦周辺ではよく見かけた。減反政策と関係あり?

野友小学校の学校林。間伐の跡もあり、木で作った遊具も見られました。

イタリアシチリア島を訪れる(2004年1月)

ローマ市内の電話ボックス。日本と比べて非常におしゃれな感じ。

シチリア島の州都パレルモ市内のゴミ箱。プラスチックは分類するようです。

パレルモの港の近くの魚屋。昼過ぎだったので売り物がほとんどなかった。対面にあった八百屋ではアンティチョークの山があった。

シチリア島西部のアグリジェントのローマ時代の議会跡

アグリジェントの町の遠景。アーモンドやオリーブの木がちらほらと見える。

ギリシャ人の植民都市セリヌンテのE神殿。女神ヘラに捧げられたと考えられている。

マルサーラのバール。パン、菓子、コーヒーなどがある。やっぱりカプチーノ

モツィアの塩田。カルタゴ時代から作られている。今でも風車の動力で製塩。

イタリア料理アランチーニ(ライスコロッケ)。昼食としては一般的なものかな。

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韃靼旅行記(8)

韃靼旅行記(8):VWの工場と旅の終わり 2002-03-30 初出『人間の経済』36号 ゲゼル研究会

泉留維(いずみるい)

 吉林で一泊し、翌日旅の起点とも言える長春に戻ることとなった。旅の終わりに徐々に近づいていくのが寂しかった。やっと中国の東北地方の雰囲気が感じ取れ始めたのに、という思いが湧き出ていた。しかし、長春にもどれば、もう1泊したら北京に戻らないといけないのだ。

 吉林と長春はほんの100キロぐらいしか離れていない。この厳冬期でも慣れたドライバーなら1時間強で着く。私たち一行も優秀なドライバーがいて大変ありがたかった。そのドライバーは、同行した林さんの朋友である王さんであり、彼が運転している車は、フォルクスワーゲン(以下VWと表記)のジェッタ(Jetta)である。このジェッタは、長春市では石を投げれば必ず当たるというほどありふれた車である。その理由は、長春市には、VWの合弁工場があるからである。中国人は一般に日本車への評価は高い、ただ長春市はVWの工場があり、あちこちにディーラーがいて修理屋も多く、そのため自然と多くの人がVW、特にお買い得なジェッタを購入する。市内のタクシーはほとんどと言っていいほど赤のジェッタである。

 この合弁会社は、1990年に設立された中国最大の自動車メーカーであり、第一汽車集団とVWがつくったということで会社名は「一汽VW」である。長春市の郊外の一角は、自動車に関する様々な工場や労働者の住宅からなる壮大な基地となっている。長春市の幹部の口利きで、一汽VWのラインを見学することができることになった。自動車のラインはテレビでしか見たことがなく、非常に興味津々であった。

 昼過ぎにラインがある敷地へと向かったが、出入り口である門は非常に警備が厳重であった。昨日行ったダムの比ではない。市の公用車で行ったのであるが、それでもしっかりトランクまでチェックされ、やっと敷地に入り見学ができるラインのある建物に行けた。わたしが訪れたラインは、アウディのA6とVWのジェッタのラインであった。ラインの全長は2,000メートル、年間にジェッタが16万台、A6が3万6000台生産され、ほぼすべて国内で販売されるそうだ。部品は、80%が国内調達だが、ただエンジンは完全輸入のようである。私たちが見ることができたのはほんの一部であり、写真を撮ってはいけなく、ただ歩いて眺めることとなったが、あちこちにドイツ語で説明書きがあり、ちらほらとドイツ人の技師がいて、一般労働者を見なければ整然としたドイツの工場である。それにしても、車の組み立て作業は壮観だ。一台の車を作るために、膨大な部品と組み立て工程が必要であり、国家が力を入れて支援する産業であることをうなずける。この産業は、大きな雇用を生み出すのである。

 ライン見学の最後にVWの中国での次期主力車「ボーラ」が展示してあった。一汽VWが最近生産を始めた小型乗用車「ボーラ」(排気量1,600〜1,800cc)は、VWが欧州や日本などで販売している主力セダンである。中国での販売価格は、17〜23万元(1元=16円、約270〜370万円)に設定されている。

 敷地から出るときも、門で再びトランクまで調べられた。どうも、中国における最新の技術が使われた部品などが敷地外に持ち出されるのを防ぐためのようである。産業スパイも横行しているのであろう。

 一汽VWのラインを見た後は、次に第一汽車集団が作っている車の展示施設へと向かった。毛沢東や周恩来などといった数々の中国の指導者を乗せてきた中国国産の要人用高級車「紅旗」が展示されていた。今年初め「紅旗」がフルモデルチェンジされて新しくできた「大紅旗」が中央に陣取っている。排気量4,600cc、長さ約5.5メートルの堂々たる車体であり、展示場でもひときわ目立っていた。ただ、やはりエンジンをつくる技術はまだなく、「紅旗」の主な車種のエンジンは、すべて日本の日産製である。ただ、この車は、中国の威信をかけた車であることには変わりなく、常に要人を乗せて走っている。

 自動車の生産基地を見学し、夕刻にさしかかったころには私たちは長春空港にいた。北京に戻るためである。今回の東北地方の旅行は、とりあえずはここで終了である。クロテンの交易の1つである「山丹交易」の一端を見るために、中国東北部へと初めて足を運んだのであるが、それとは関係のない多くの人に出会い、歴史的文物を見、最先端の施設にふれることもできた。旅行とは、最初のねらいとは関係ないことが多々起きる。それが旅行の醍醐味でもあろう。山丹交易に関しては、それほど多くの資料を得ることはできなかったが、予定外のことが起き様々な体験ができ、ある意味では旅本来の目的が果たせたと言っても良いかもしれない。近々再び訪れるつもりでいる。再見了!

(完)

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