フットパス

太平百合が原フットパス

「百合が原から東茨戸」コース:篠路新川の河川緑地内

北海道には数多くのフットパスがありますが、都市部である札幌市内の草分け的なフットパスといえば、太平百合が原フットパスとなるでしょう。太平・百合が原まちづくりセンターが音頭をとって市民たちがフットパスの整備を行い、地域の自然や歴史などを織り交ぜたものになっています。2011年に完成し、主に学園都市線JR百合が原駅を起点とした6コース、計54kmのフットパスとなっています。「太平百合が原フットパスガイドマップ」が300円で、百合が原駅前の太平百合が原まちづくりセンターなどで売られています。(2011年8月訪問)

ホームページ なし

「百合が原から東茨戸」コース:百合が原公園
「百合が原から東茨戸」コース:篠路拓北川付近の道
「百合が原から東茨戸」コース:篠路新川の河川緑地内
「百合が原から東茨戸」コース:旧琴似川沿いの道

南幌フットパス

 南幌フットパス・月例ウォーク:マオイ文学台(長官山)

北海道南幌町には、1896年に開通した北海道四大運河のひとつ「幌向(ほろむい)運河」が流れています。一帯は泥炭湿地帯のため、排水と物資輸送用に建設され、今も排水運河として農業の町を支えています。この南幌町の景観と農業にふれあいながら楽しむために整備されたのが南幌フットパスです。南幌フットパスは、NPO法人ふらっと南幌が2006年から整備を初め、現在では鶴の里コース、夕張川コース、幌向運河コースの3コース、計45kmに及んでいます。また、毎月第3日曜日には「月例フットパス(ウォーク)」が開催され、新たなコース整備も念頭に様々な場所を歩いています。(2010年10月訪問)

ホームページ http://www.flat-nanporo.com/

南幌フットパス・月例ウォーク:夏のスキー場(長官山)
南幌フットパス・月例ウォーク:りんご園
南幌フットパス・月例ウォーク:マオイ文学台(長官山)
 南幌フットパス・月例ウォーク:ひまわり畑
 南幌フットパス・月例ウォーク:あぜ道を歩く

九州オルレ

武雄コース:長崎街道

九州オルレは、九州観光推進機構が中心となり、社団法人済州オルレの指導を受けて整備を進めているフットパスです。韓国の済州島では、2007年から島をほぼ一周する構想でフットパスが設置されてきました。そのフットパスが済州オルレで、そのノウハウ(コース選定方法や標識作りなど)を活かして九州オルレは整備が進められています。九州各地の自然や歴史的な建造物、魅力的な食や温泉などをつなげ、歩いて楽しめる観光を狙って、各地で設置されてきています。コースの選定は、各県から提案されたコースを九州観光推進機構と済州オルレの合同探査チームが実際に廻って行われています。九州オルレは2012年3月に正式に開始され、第一次として佐賀県武雄コースを初めとした3コースが認定されました。2013年2月には第二次として長崎県平戸コースを初めとした4コースが認定され、計106.4kmとなっています。ガイドマップはネットでも公表され、現地では観光案内所などで無料で配布されています。九州観光推進機構によれば、2012年3~11月に九州オルレを体験した人は少なくとも8000人(旅行会社経由の参加者のみ計測:韓国人4877人、日本人3230人)を超えるとのことです。(2012年12月訪問)

ホームページ http://www.welcomekyushu.jp/kyushuolle/

武雄コース:武雄温泉楼門ゴール地点
武雄コース:武雄温泉楼門
武雄コース:道路にペイントされた矢印(青は正方向、赤は逆方向)
武雄コース:長崎街道
武雄コース:青と赤を結んだリボンはコースの目印

美里フットパス

 霊台橋石橋コース:霊台橋

熊本県美里町は江戸時代などに造られた石橋が40近くあり、室町時代から続く棚田があるなど歴史も自然も豊かな中山間地域です。この景観を活用したまちづくりの一環として取り組まれたのが、美里フットパスです。美里町商工会や熊本県宇城地域振興局などが支援し、NPO法人美里NPOホールディングスが、2012年にまず3コースを整備しました。現在では、霊台橋石橋コース(8km)や小崎棚田コース(4km)をはじめとした10コースが整備されていて、フットパスガイドマップ(500円)は町内の9ヶ所で販売されています。また、韓国の済州オルレを意識して、様々なグッズを作成しその販売もしています。2013年4月には、美里町商工会や美里NPOホールディングスなどが協働して、美里フットパス協会が立ち上げられ、ここがフットパスを管理運営するようになっています。(2012年6月訪問)

ホームページ http://www.misatoshiki.com/index.php

 小崎棚田コース:棚田遠景
小崎棚田コース:路地
小崎棚田コース:大日からの同心円に見える棚田
小崎棚田コース:スタート地点の小崎神社
 小崎棚田コース:すげんこの井川、野菜や衣類を洗ったりしていた
小崎棚田コース:あぜ道も歩く
 霊台橋石橋コース:霊台橋

勝沼フットパス

 深沢コース:ぶどう畑沿いの道

山梨県甲州市の旧勝沼町内で展開されてきたフットパスが、勝沼フットパスです。甲州ブドウの産地として有名な勝沼は、ブドウ狩り農園やワイナリーが各所に立ち並んでいます。また、戦国期から明治期にかけての名所旧跡も多く、フットパスはブドウ畑を横切りながら、これらのスポットを結ぶ形で設定されています。当初は旧勝沼町役場が主導していましたが、2006年におおよその整備が終わり、2007年からは市民の任意団体「勝沼フットパスの会」が市役所の支援の下に事業運営にあたっています。主たるコースとして4コースがあり、集落の中を通過する深沢コースでは、当地の家庭の味と風情が楽しめる縁側カフェが、住民有志の協力を得て設置されています。(2010年11月訪問)

ホームページ http://katsunumafootpath.web.fc2.com/

深沢コース:大善寺
深沢コース:大日影トンネル遊歩道
 深沢コース:縁側カフェの食事
 深沢コース:ぶどう畑沿いの標識
深沢コース:ぶどう畑沿いの道
深沢コース:フットパスの標識

落石シーサイドウェイ

浜松パス:ゲート

落石シーサイドウェイは、北海道根室市の落石駅(JR花咲線)を起点とした2ルート、総延長15.4kmのフットパスです。根室フットパスを運営する酪農家集団AB-MOBITが支援し、落石漁業協同組合と落石地区マリンビジョン協議会が2009年に設置しました。ルート上では、半ば野生化した放牧馬を見ることができたり、ドラマ「北の国から」のロケ地にもなった浜松海岸を通り抜けたりします。(2009年10月訪問)

ホームページ http://www.nemuro-footpath.com/ochiishi/

 浜松パス:平磯付近
浜松パス:放牧馬
浜松パス:浜松集落
浜松パス:浜松海岸砂浜
浜松パス:ハタケノシリ付近
 浜松パス:浜松海岸
浜松パス:ゲート
花咲線・落石駅

ウヨロ川フットパス

ウヨロ川:サケの遡上が観察できる

北海道白老町のウヨロ川フットパスは、NPO法人ウヨロ環境トラストによって、2003年に設立されました。ウヨロ環境トラストは、ウヨロ川中流域の2.2haのカラマツ林の所有権を取得し(トラストの森)、当地における森づくりと里山環境の復元を掲げているNPOです。主にウヨロ川に沿いながらトラストの森に至る形で、サケの遡上や産卵も観察できる計14kmに及ぶ2コースが整備されました。公有地ばかりではなく、北海道らしく私有地(主に牧場)を通るルートになっています。フットパスマップが、200円で萩の里自然公園センターハウスなどで販売されています。(2010年7月訪問)

ホームページ http://www.shiraoi.org/trust/footpath/

ウヨロ川土手のフットパス
ウヨロ川フットパス標識
ウヨロ川:サケの遡上が観察できる
トラストの森
オーシャンファーム

御谷騒動と広町緑地(2007年4月)

 

桜が散り間際、鎌倉市に赴き、里道の散策をしました。鎌倉市は、言わずもがなですが、「古都保存法」を誕生させた市でもあり、環境保全を取り組む先駆的な自治体ですが、そもそもは住民の反対運動から政策につながっていくというパターンが観察されます。

財団法人鎌倉風致保存会の事務所建物。ハーフティンバーと呼ばれる独特な妻壁を持つ旧安保小児科医院の建物。

御谷(おやつ)騒動のモニュメント。鶴岡八幡宮の裏山である御谷(御谷戸が縮まったらしい)の宅地開発に反対する運動で、大佛次郎などが運動の母体として作ったのが財団法人鎌倉風致保存会(1964年設立)である。1966年、日本のナショナル・トラスト第1号と言われる御谷山林(1.5ha)を買収し、現在のような光景を保っています。フェンスで覆われて、クローズド・スペースになっているのが若干気になるところです。

広町緑地には、江ノ電七里ヶ浜駅から歩いて入りました。駅からの案内図がないためかなり迷って正規の入り口ではないと思われる日蓮宗霊光寺の裏山からでした。写真は七里ヶ浜小学校近くにある出入り口付近の尾根から撮ったもの。緑地のすぐそばまで住宅地がびっしり詰まっています。

とても手入れがされた里道(自称「もののふの道」)です。

七里ヶ浜出入り口付近に過かがられていた緑地内の地図。残念なことに支柱から落ちていました・・・

里道を歩いて里山を降りると、谷戸が広がっています。耕作放棄されたかなり年月がたっているのか、水路はほとんど埋まり湿地のようになっていました。ただ、里道の方はしっかり整備され、木の橋も架けられています。

耕作放棄された水田も市の支援を受けて復興しようとしているようです。やはり元の自然を取り戻すためには、長年関わってきたヒトの営みの部分も取り戻して行かなくてはいけません。イングランドでは、すでに羊がいなくなったコモンに羊の放牧をわざわざ行って、風景(ランドスケープ)を保全しようとしています。

鎌倉の里道めぐり

 桜が散るか散らないかの日本人が美を強く感じる時期に、鎌倉の里道を歩きに行きました。里道とは「道路法による道路に認定されていない道路すなわち認定外道路のうち、公図上赤い帯状の線で表示されているもの」を指します。地区住民の日常生活に密着した道路として利用されてきた歴史があり、その敷地は、現在では市町村の財産となっています。鎌倉市の里道は総延長600キロにものぼるとかのぼらないとか言われはっきりはしませんが、相当の長さを持っているのは事実です。
 まず鎌倉市の里道の実態を聞くために鎌倉市役所道水路管理課に赴きましたが、全域の里道については質問してもまとめた資料などはないと言われたため、すぐ近くにある横浜地方法務局鎌倉出張所に赴き、今回特に注目し、歩き回ろうと考えていた広町緑地付近(鎌倉市腰塚・津:鎌倉広町の森)の旧公図を閲覧しました。写真(性格上解像度を落としています)を見ていただければわかるように、旧公図は非常に鮮やかで、赤線・青線が一目瞭然となっています。広町緑地には里道が縦横に走っていたのがよくわかります。ちなみにこの周辺は、鎌倉時代には京都から鎌倉に入る大手(玄関)だったそうです。

 そもそも広町緑地(約60ha)は、都市近郊の大規模な手つかずな私有地であったため、1973年、事業三社によって大規模開発(主に宅造)案が発表されて以来、常に開発圧にさらされてきた場所でした。地元住民は、数少なくなってしまった市内の残された緑地を保全するために反対運動を継続し、1984年には周辺8自治体により「鎌倉の自然を守る連合会」が結成されています。この団体などを中心に粘り強く運動を続けた結果、2000年には鎌倉市議会で広町を都市林として保全する「広町の緑地保全に関する決議」が採択され、2002年10月には事業三社は開発を中止し、用地(36.8ha)を市に売却することで鎌倉市と基本合意するに至っています。2003年12月、総額113億円(神奈川県20億円、国20億円、鎌倉市緑地保全基金35億円、鎌倉市38億円)で買収、晴れて公有地となり長期的な保全ができる体制になりました。事業三社以外が保有していた残りの土地もほぼ2006年2月までに買収が終わり、現在では都市林公園を目指しているそうです。
 里道の話に戻りますが、緑地保存運動に取り組んでいた「鎌倉・広町の森を愛する会」の代表(当時)の池田尚弘さんは、赤道は入会地と同様、地域住民共有の財産であり、住宅開発をすることで、その共有財産を業者が勝手に侵害することは許されないと考えたそうです(詳細については『季刊まちづくり』の該当記事をご覧ください)。そこで、ただ反対するだけではなく、この赤道を修復し、再活用することによって、忘れられていた共有性を復活する活動を展開しました。そのおかげもあって、今では下記の写真のような立派な里道を私たちが享受できるようになっています。この広町緑地の場合、身延町のように里道によって地域外からの開発を妨げることができたと結論を下せるかは難しいところですが、少なくとも里道整備が地元住民によって再び行われ始めることで里山自体(「おらが山」)と保全の重要性の再認識につながっていったことは間違いないでしょう。
rido
広町緑地の里道の詳細な光景についてはこちらをご覧ください。

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