ゼミ

2008年今治市関前岡村島でのゼミ夏合宿

今年でゼミとしては5回目、個人的には7回目の入島です。今年は台風は来ませんでしたが、猛暑で焼け付くような中での開催となりました。

岡村島は、港の付近の中心部には、2つの宿泊所(公営の農村交流センター(素泊まり一泊3000円)と民営のシー・ガル(素泊まり一泊2700円前後))あり、人数も増えたことから、今年は、両施設を借り切りとなりました。狭いながらも人工ビーチが目の前にあるのが売りですが、シャワールームの狭さと冷蔵庫の故障には毎年泣かされます。特に島外の人を呼び込んでの島の活性化をねらうのなら、もう少し今治市が公営の施設に投資をすべきでしょう。この5年間、その痕跡が全くないです(冷蔵庫が故障しても補充されない)。

○廃油石鹸作り(1日目)

使用後の食用油の有効利用の方法はいろいろあり、最近ではBDF化が話題になっていますが、一番、身近なものは石鹸でしょう。ということで、ゼミとしては始めて廃油石鹸作りを実施してみました。入手しやすいオルトケイ酸ソーダをしようしました。一人分の材料は、廃油100グラム、オルトケイ酸ソーダ25グラム、水道水50mlで、ペットボトルの中に入れて混合し、最後は豆腐の空き容器に流し込みました。

単に混合すれば完成すると思っていたのですが、合宿最終日(作成から3日後)、見るも無惨な結果が待っていました。34個作成し、固形化したのはわずかに5個。炎天下で、大人数で作成したため水や油の分量が多少いい加減になったり、混合時間が遵守されていなかったりという不備はあったと思いますが、あまりにも失敗作が多かったです。こういう化学反応で作成されるものは手順を遵守しないといけないですね・・・

○郷土料理作り(2日目)

どんな土地でもその土地ならではの料理があります。岡村島は離島で、平地も少ないことから、海産物を使った郷土料理が多いです。今回は、地元の婦人会の方がいろいろ指導してくれました。作ったのは、「イギス豆腐」「小アジの南蛮漬けサラダ」「ひじきの白和え」「なすのしぎ焼き」「タコの唐揚げ」「赤しそご飯」です。一部の野菜(にんじんなど)と米以外は、島でとれた食材を使用しました。

海草の臭いが鼻につくのか学生には今ひとつ評判が良くないのですが、この島の代表的な料理は「イギス豆腐」でしょう。地元でとれるイギス草をだし汁の中に入れ、大豆粉とともに煮込んでいくと、イギス草は影も形もなくなります。にんじんやエビを入れてバットに入れ冷蔵庫に入れて冷やすと、言葉では表現しにくい独特な食感を持つ「豆腐」になります(写真は冷やす前のもの)。味?臭い?になれるとやみつきになるようで、学生は誰も宿泊所に持って帰りませんでしたが、地元の人は残ったイギス豆腐をきれいに持って帰っていきました。

完成した料理です。普段の料理というよりも、ハレの時の料理なのでしょう(島民の方に聞き忘れましたが・・・)。

○大下島訪問(3日目)

岡村島から船で約20分。大下島に行きました。2年前には10軒ほどのご自宅に訪問して生活調査をしましたが、今年は、灯台守をしていた92歳のお爺さんのお話を聞きに伺いました。旧・関前村は、1890年に岡村と大下村が合併してできた村で、そもそも行政区分は江戸時代にさかのぼっても違うところでした。大下島は、今でも漁業はほとんどしておらず、農業中心の島です(人口は100名強)。なぜ離島にもかかわらず漁業を全くしてこなかったのかはいろいろな説があるそうです(ここでは割愛)。写真は、手前が小大下島(昔は石灰岩の採掘が盛ん)、奧が岡村島です。

岡村島には、小さなJAのスーパーしかないため、食料品は基本的には四国の今治市中心部から買い付けてくることになります。人口が多い頃は、ほぼ毎日、専用船で買い付けが行われていましたが、今は週に2回程度となっています。専用船が到着すると港近くのお店に島内から多くの人が集まってきます。ほとんどが70歳以上なので、個人で船を乗り継いで今治市中心部に行くのは骨が折れることであり、専用船は生命線とも言える存在です。

○島民の方とのワークショップ(3日目)

島民や関前支所の方が8名ほど参加していただいてワークショップを実施しました。島民の方からは島の問題点や不満、学生からは自分なら島をこのようにできる、もしくはこのようにしたいなどのアイデアを出すなどの形で進めました。他所者中心の場なので、島民の方も気軽に問題点を出すことができたようで、けっこう盛り上がりました。高齢社会の問題点は当然のこととして、地域特有の問題としては、「たぬき」の異常発生(たぬきの食害などが深刻)と今年11月に開通する橋についてがあがりました。

後者の問題ですが、1998年、広島側の大崎下島と陸続きになり、計3つの離島がつながりました。そして、2008年11月に豊島大橋が完成すると岡村島は本州の呉市と陸続きになります(橋の詳細については広島県道路公社のHPを参照)。離島振興法(いろいろ問題点のある法律ですが)の対象から外れるといった財政上の問題もさることながら、24時間いつでも誰でも集落に入ってくることができるのは、島民に大きな不安を与えているようです。橋にビデオカメラを設置したいと市役所にお願いしたようですが、広島側が造った橋であることで今治市は対応してくれず、これといった対策が打てずに11月が来ることになりそうです。離島が陸続くになることでのメリット・デメリットがいろいろあげられるでしょうが、岡村島はその問題にまさに直面しています。

離島が「離島」ではなくなる

 毎年、ゼミの合宿を行っている愛媛県今治市の離島・岡村島が、2008年11月に「離島」ではなくなってしまう(2008年のゼミ合宿の様子はここをクリック)。岡村島は、2005年に今治市と対等合併するまでは、関前村の中心となる島であった。旧関前村は、岡村、大下、小大下の三島からなり、1890年に岡村と大下村が合併してできた村である。江戸時代は、少し意外なことに、対岸の今治藩ではなく、松山藩の領地であった。ちなみに小大下島は、近世までは無人の島で、岡村と大下村の両村入会の地であった(江戸時代から入会紛争は多発していた模様、明治時代以降は石灰岩の採掘が盛んとなる)。
 瀬戸内海の島の多くは明治期からミカン栽培が盛んになり、もれなく関前地域でも1900年前後から盛んになっている。一時期はミカン御殿が建つほどの所得があったが、1970年代に入るとミカンの価格が暴落し、その後、関前地域の人口も激減していく(下記写真参照、戦後は一貫して人口は減少していたが、ゆるやかであった)。2008年3月末現在(住民基本台帳人口)で、岡村が491人、大下が121人、小大下が43人となっており、戦後直後と比較して5分の1程度となっている。
 このような岡村島は、1995年に岡村大橋と平羅橋、1998年には中の瀬戸大橋が完成して、広島県の大崎下島と陸続きになっている。これらの橋の事業は広島県の事業として行われ、広域農道と位置づけられている。大崎下島の住民が、自分のミカン畑(「大長みかん」というちょっとしたブランドみかんを産出)に船ではなく車で行くことができるようにするというのが建設目的である。表向きは、岡村島の利害と関係なく、広島側の島と陸続きになっている。
 この架橋は、全体構想として「本州 - 下蒲刈島 - 上蒲刈島 - 豊島 - 大崎下島 - 平羅島 - 中ノ島 - 岡村島 - 大崎上島」と位置づけられているものの一部である(岡村島だけが愛媛県)。この全体構想の中で、岡村島と大崎上島の架橋建設は全く具体化しておらず、現在、「上蒲刈島 - 豊島」の架橋建設が進んでいて、その他の架橋はすべて終わっている。そして、この架橋が2008年11月に完成し、岡村島は本州と陸続きになり、離島ではなくなってしまうのである。
 愛媛県が策定した離島振興法に基づく実施計画(平成15年度~平成24年度の10ケ年間計画)では、広島側と陸続きになることにより、観光客の呼び込みが容易になり、UJIターンのハードルも下がると位置づけている。しかし、一部の島民の話を聞いたに過ぎないが、現実には陸続きになることの不安(治安の悪化など)の方が大きくまさっており、また観光客を呼び込むためのハード(91年に作られ、ゼミ合宿で使用している公設の宿泊施設も整備が不十分)とソフト(島のどのような資源をアピールするのかという認識が共有されていない)は整っておらず、産業的にUJIターンも見込みがたっているとは思えない。岡村島の島民にとって陸続きになることは、今のところメリットがほとんどないと言っても良いだろう。
 例えば、もし橋の下に水道管を敷設できれば、島にとっては大きなメリットとなる。現在、岡村島は海水淡水化プラント(1997年完成)があるため水不足の懸念は起きていないが、そのプラントも耐用年数が迫っており(財政的に新規更新は難しそう)、農業用水の確保も考えると、近々、新たな水源が必要となる。ただ、広島県の事業だったこともあり、そもそも橋の下に水道管を敷設することは想定されていなかったため、重量的に敷設が難しいのが現実のようで、島民は非常に残念がっている。
 離島が「離島」でなくなることは、岡村島にとっては生活面でも観光面でも今のところメリットがあまり見いだせない。もう静かな「離島」を売りにすることもできない。厳しく書けば、行政に頼らず、島民自らが協調して、新しい行動を起こし、メリットを作り出すべきなのであろうが、良くも悪くも地域の凝集点であった役場が消え、若者がほとんどいない中(2005年の高齢化率は54.7%(国勢調査))で、多くの過疎高齢地域と同じく、地域機能の現状維持を図るのがせいぜいとなっている。
 当たり前のように言われていることだが、地域機能が極端に減少する前に、地域住民が地域資源(注記参照)を見直して、外部の理屈から始まった架橋による本州との接続を受け身にならず、積極的にプラスに働かせることが、岡村島と周辺地域の持続可能性を決めて行くであろう。

注記:地域資源として、例えばハードとして周辺の島にはない人工海水浴場、公設の宿泊施設(30名規模)、立派な小中学校施設、安価に入居できる介護施設などがあり、島民のたすけあい活動やお祭りといった共同体機能も十分に残っている。隣接する島もやっているような地元のみかんや海産物を都市部に売り込んだりする資源利用以外にもっと着目すべき。

足尾銅山と世界遺産

もうかれこれ5年目になりましたが、5月中旬、ゼミ生(2年生のみ)を引き連れて、渡良瀬遊水地と足尾巡り、植林準備のボランティア(足尾に緑を育てる会主催)をしました。昨年と比べて大きな変化があったのは、足尾銅山を世界遺産(適用種別:産業遺産・文化的景観)として登録する活動が本格的に始まったことでしょうか。2007年9月26日に日光市と栃木県が、文化庁に対して、「世界遺産暫定一覧表追加記載提案書」を提出しました。提案書を見てみると、提出時点では、足尾銅山に関係する建造物などはほとんど法的な保護の対象になっておらず、悪く言えば放置されている状態だったことが伺えます(ほんの一部ですが、登録有形文化財(建造物)、市指定史跡や建造物はあります)。やっと、世界遺産登録運動の流れの中で、2008年3月、国の史跡(足尾銅山跡、通洞坑、宇都野火薬庫跡)に指定されました。
徐々に保全活動が広がっていくことは重要なのですが、現実には、一部の関連の建造物の傷みは激しく、近々に何らかの手を打つべき状態でしょうか。たとえば、古河の私有地内にある本山製錬所(写真参照、2008年5月撮影、クリックすれば大きくなります)は、毎年、見る度に損傷が激しくなっているように思えます。私企業にとって、負の遺産は、積極的な保全対象にはならないのでしょうが、観光地化した通洞坑等だけではなく、精錬所や選鉱所も朽ち果てるがままにせず対応するのが、本当の社会貢献活動であり、厳しく言えば企業の存在をかけた義務行為でしょう。

本山精錬所

平成19年度ゼミ

2007年11月7日更新

平成19年度のゼミのメンバー

  • 4年生  7名(男性5名、女性2名)
  • 3年生 12名(男性8名、女性4名)
  • 2年生 12名(男性7名、女性5名)
  • 交換留学生  1名(北京日本学研究センター・修士(中国))

毎週金曜日

2年生:14時40分〜

3、4年生:16時20分〜

ゼミの内容

  • テキスト購読:ゼミ生の輪番制で内容報告をしてもらい、その後討論をします。

2年生:枝廣淳子(2006)『回収ルートをたどる旅』七つ森書館、礒野弥生, 除本理史編著(2006)『地域と環境政策 : 環境再生と「持続可能な社会」をめざして』勁草書房

3、4年生:松永和紀(2005)『食卓の安全学:食品報道のウソを見破る』家の光協会

  • 新聞の切り抜き発表:環境問題は時々刻々と移り変わっていくものです。毎週担当者を決め、その週の環境関連の新聞記事を切り抜き概要を発表してもらいます。
  • 課外授業:現場を知らずして、環境問題は何も語れません。年に数回工場等の訪問を行います。さらに、横浜市青葉区の自然農法の農家のお世話になって平成17年度ゼミより始めているコメ作りを今年度も行います。

    (2006年度のコメ作りの光景はこちら

寺家ふるさと村でのコメ作りの光景(2007年度:(1)(2)

5月:サントリー武蔵野ビール工場(東京都府中市)見学(終了)

ゼミ第一期生と謝恩会にて

寺家ふるさと村(07年度)の農業実習(2)

 

フィールドトリップ・インデックス  2006年度の農業実習

2007年10月:稲刈り

今年度の農作業は雨にたたられ続け、稲刈りを予定していた日に台風が関東に近づき中止。仕方なく、予備日に稲刈りをしました。台風が接近したにもかかわらず、稲はしっかり踏ん張り、ほとんど倒れていませんでした。肥料を与えていないため、しっかり根を張っているからでしょう。昨年度よりも、収量はかなり多く、3枚で2俵強はありそうです。やっぱり谷津田には、コシヒカリはあわないですね。

すでに周りの田んぼは稲刈りが終わっています。今時、晩稲の稲を植える人はほとんどいません。本日、刈り取る3枚の田んぼです。

のこぎり鎌で稲を刈り取りながら、去年の稲わらで束ねていきます。要領を覚えれば簡単な作業ですが、田んぼも台風の影響でぬかるんでいることもあり、普段使わない筋肉を使うので、けっこう大変です。

里山の竹で作られた「はざ」。今年は豊作で稲に米がたくさんついているので、しっかり作らないといけません。金属製とは違い、たまに竹がおれることもあるそうです。

はざかけ終了。3週間後には新米を食べることが出来るでしょう。

 

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07年今治市関前岡村島でのゼミ夏合宿

今年でゼミとしては4回目、個人的には6回目の入島です。今年は運が悪く、東京から夜行バスで今治まで移動する日に台風が本州を直撃することになり、当初の予定より一日ずらしての入島となりました。

台風が通り過ぎて、今治市はそこそこ良い天気になりました。岡村島に入る前、今治市の四国側にある第58番札所の仙遊寺に、コーディネーターの島崎さんと一緒に訪れました。ここの宿坊は、セミナー室もあり、一泊6,000円なので、静かなゼミ合宿をするのには良いかもしれません。

今年から今治・岡村間の民間のフェリーが廃止され、市営だけになったそうです。そのため、かなり狭いフェリーしか走っていません。ゼミ生30名が乗ると、けっこう混雑してしまいました。

台風の影響で一日、合宿の日が減ったため、今年はフィールドワークはほとんど中止。唯一実施したのが、岡村島の観音崎(ちょっと島から突き出ている)での植生調査です。今治から講師をお呼びして、観音崎にある救世観音堂周辺を調べました。島の人の話によると、昔(数十年前)は、クロマツが生い茂った松林だったそうですが、今はほとんど松はなく、生態的には次のステップに移行してるようです。山火事や台風でごっそり今の広葉樹が枯れれば、また松林に戻るかもしれませんが。

宿泊した農村交流センターと海水浴場。台風が通り過ぎた後だったので、かなりのゴミが漂着していました。ただ、このあたりの島では唯一、整備された海水浴場なので、昼間はけっこう人が多かったです。

基本は完全自炊ですが、2日目のお昼は、地元の人がタコを釣って、タコの唐揚げをもってきてくれました。イカと違って、タコはさすがに地元の人にさばいてもらわないと・・・・今年度はあまり調査ができませんでしたが、来年度は岡村島の生活実態調査など実施して、離島の将来像をもっと探っていきたいと思います。

足尾合宿(2007年度)

毎年5月、新しくゼミに入った学生を引き連れて、足尾銅山煙害・鉱毒事件に関係する場所に行っています。水俣病もしかりですが、生態系の回復をするためには、気の遠くなるような時間と莫大な費用をかける必要があります。それでも完全には戻らず、また人々の記憶から公害のことが薄れるほうが早いのが気にかかるところです。公害は、過去の日本や途上国の問題ではなく、今の日本でも起きている問題です。(写真は大畑沢緑の砂防ゾーンの頂上付近から足尾精錬所を臨んだもの)

 

足尾銅山(2007年度)

2007年も5月の第三土曜日・日曜日に新ゼミ生12名と3年生のゼミ生の一部(2名)を連れて、足尾銅山煙害・鉱毒事件に関係した場所を訪れ、NPO足尾に緑を育てる会の作業デーに参加しました。

渡良瀬遊水地内の旧谷中村跡(史跡保全ゾーン)にある谷中村村民の延命院共同墓地。1970年代、貯水池造成のため破壊されそうになったが、市民などによる反対運動で撤回された。

足尾精錬所入り口。入り口近くの古河橋も含め世界遺産に登録する運動が起こっています。2007年9月末をめどに日光市は文化庁に世界遺産暫定リスト掲載の提案書を提出するそうです。

大畑沢の作業場頂上から見た足尾ダム。渡良瀬川・仁田元川・久蔵川の3川合流点に建設されたもので、1954年に第一期のダムが完成しています。計画貯砂量500万m3のかなり大きな砂防ダムですが、見たところかなり埋まってしまっています。写真左手には、鉱山の廃石などを埋めた堆積場があります。

ちなみに大畑沢の作業場頂上付近の地表は写真の通りです。国道交通省が整備したとは言っても、土壌を完全に入れ替えるわけにも行かないので、まだまだ昔の名残があります。

足尾に緑を育てる会が管理する作業場は、昨年までは大畑沢でしたが今年からは、足尾ダムより上流の桐久保沢と松木沢(少し下流)に変わりました(詳細はこちら)。作業場から松木沢を見ると、両岸の山とも岩がむき出しになり、見るに堪えない光景が目に入ってきます。生態系の回復はまだまだこれからです。

簀子橋堆積場(対象:沈殿物、面積:218,000m2、堤長:337m、 高さ:97m)。1960年完成。足尾では唯一現役稼働中の堆積場。地元のある人の話では、このダムがあふれないようにするために汚水(処理水)を流している小川(渋川)にはほとんど生物が生息していないという。

リーディングリスト(2007年4月8日更新)

リーディングリスト(2007年4月8日更新)

環境関連講義やゼミナールを受講している学生の皆さんが、より理解を深めたい場合、まず下記の本の中から適当なものを読んでみるのをお薦めします。

環境問題全般

  1. 鶴見和子(1981)『南方熊楠:地球志向の比較学』講談社(講談社学術文庫)
  2. 中村尚司(1993)『地域自立の経済学』日本評論社
  3. 室田武、多辺田政弘、槌田敦編(1995)『循環の経済学』学陽書房
  4. 天野明弘(1997)『環境との共生をめざす総合政策入門』有斐閣アルマ
  5. 室田武(2001)『物質循環のエコロジー』晃洋書房
  6. ビョルン・ロンボルグ(2003)『環境危機をあおってはいけない』文藝春秋
  7. 中西準子(2004)『環境リスク学』日本評論社
  8. 加藤尚武(2005)『新環境倫理学のすすめ』丸善ライブラリー
  9. 環境経済・政策学会編(2006)『環境経済・政策学の基礎知識』有斐閣
    →環境経済・政策学に関する事典で、201項目が取り上げられている。最初に何かを調べる時の足がかりになる
  10. 環境省『環境白書』各年度版(1972年〜)
    →日本の現在の様々な自然環境の現状や問題を網羅的記述

地球環境問題

  1. 石弘之(1988)『地球環境報告』岩波新書
    →世界中を駆け巡っての環境ジャーナリストによる地球環境の現状報告
  2. G.ポーター、J.W.ブラウン(1996)『入門地球環境政治』有斐閣
  3. 石弘之(1998)『地球環境報告II』岩波新書
    →『地球環境報告』の10年後の続編
  4. 松下和夫(2002)『環境ガバナンス(環境学入門)』岩波書店
    →国際政治の中で環境問題がどのように扱われてきたのかを紹介
  5. 伊藤公紀(2003)『地球温暖化:埋まってきたジグソーパズル(シリーズ地球と人間の環境を考える)』日本評論社
    →果たして本当に温暖化しているのか?もし温暖化しているとしてもその原因が二酸化炭素なのか?
  6. ワールドウォッチ研究所『地球白書』家の光協会 各年度版(1987年〜)
    →アリカの非営利シンクタンクが毎年発行している地球環境の報告書
  7. 日本環境会議「アジア環境白書」編集委員会『アジア環境白書』東洋経済新報社 隔年度版(1997年〜)

廃棄物リサイクル問題

  1. 細田衛士(1999)『グッズとバッズの経済学』東洋経済新報社
  2. 石渡正佳(2003)『産廃コネクション』WAVE出版
  3. 安井至(2003)『リサイクル:回るカラクリ止まる理由(シリーズ地球と人間の環境を考える)』日本評論社
  4. 寄本勝美(2003)『リサイクル社会への道』岩波新書
  5. 石渡正佳(2004)『リサイクルアンダーワールド』WAVE出版
  6. 環境省『循環型社会白書』各年度版(2001年〜)
    →日本の廃棄物の現状や問題点を紹介
  7. 枝廣淳子(2006)『回収ルートをたどる旅』七つ森書館

公害交通問題

  1. 石牟礼道子(1969)『苦海浄土』講談社文庫
    →水俣病に関する古典的名著で、英訳もあるほど
  2. 荒畑寒村(1970)『谷中村滅亡史』新泉社
    →足尾銅山からの鉱毒により村が一つ滅亡する過程を描いた日本における環境書の古典
  3. 宇沢弘文(1974)『自動車の社会的費用』岩波新書
    →日本を代表する経済学者が自動車交通に潜む社会的費用の大きさを実証
  4. 田中哲也(1981)『土呂久鉱毒事件:浮かび上がる廃鉱公害』三省堂新書
    →宮崎県の亜砒素鉱山土呂久の歴史、戦後間もなくの森永砒素ミルク事件や最近の和歌山砒素カレー事件に見られる砒素の毒性を改めて考えさせられる
  5. 東海林吉郎・菅井益郎(1984)『通史足尾鉱毒事件:1877−1984年』新曜社
    →足尾事件の歴史的経過を緻密に追跡した労作
  6. 宇井純編(1985)『技術と産業公害』国際連合大学
    →足尾銅山煙害鉱毒事件、水俣病、森永砒素ミルク事件、イタイイタイ病、三池炭坑炭塵爆発事件などの歴史を分析
  7. 宇井純編(1991)『谷中村から水俣、三里塚へ』社会評論社
    →近世(江戸時代)以降の日本環境史
  8. 川名英之(1987〜96)『ドキュント日本の公害』(全13巻)緑風出版
  9. W.ユージンスミス、アイリーン・M・スミス(1991)『写真集 水俣』三一書房

エネルギー問題

  1. 室田武(1991)『君はエントロピーを見たか?』朝日文庫
  2. 室田武(1993)『原発の経済学』朝日文庫
  3. 広河隆一(1996)『チェルノブイリの真実』講談社
  4. 朝日新聞山口支局編著(2001)『国策の行方』南方新社
    →山口県上関町の上関原発建設の歴史とそれを巡る諸問題を追ったインタビュー記事集
  5. 小島紀徳(2003)『エネルギー:風と太陽へのソフトランディング(シリーズ地球と人間の環境を考える)』日本評論社
  6. 原子力資料情報室編『原子力市民年鑑』各年度版(1996年〜)
  7. ジェミー・レゲット(2006)『ピーク・オイル・パニック』作品社

環境経済学・エコロジー経済学

  1. 中村修(1995)『なぜ経済学は自然を無限ととらえたか』日本経済評論社
    →新古典派経済学を基盤とした環境経済学への批判
  2. 植田和弘(1996)『環境経済学』岩波書店
    →環境経済学の標準的なテキスト
  3. 植田和弘・岡敏弘・新澤秀則編著(1997)『環境政策の経済学:理論と現実』日本評論社
    →経済学からの環境政策の提言
  4. ホワン・マルチネス=アリエ(1999)『増補改訂新版:エコロジー経済学』新評論
  5. R.K.ターナー、D.ピアス、I.ベイトマン(2001)『環境経済学入門』東洋経済新報社
    →初中級の環境経済学のテキスト
  6. 福士正博(2001)『市民と新しい経済学』日本経済評論社
  7. マティース・ワケナゲル、ウィリアム・リース(2004)『エコロジカルフットプリント』合同出版
    →貨幣単位を用いず自然環境を評価する方法を紹介
  8. ニッキー・チェンバース、クレイグ・シモンズ、マティース・ワケナゲル(2005)『エコロジカルフットプリントの活用:地球1コ分の暮らしへ』合同出版
  9. デイリー、ハーマンE(2005)『持続可能な発展の経済学』(新田功 蔵本忍大森正之共訳)みすず書房
    →ハーマンデイリーの初の邦訳本。環境問題をマクロ経済的視点で分析する。
  10. 岡 敏弘(2006)『環境経済学(岩波テキストブックスS)』岩波書店
    →学部上級から大学院レベルのテキスト。エントロピー経済学派の解説に一章分をさいたりと比較的ユニークな作り。
  11. 泉留維・室田武・三俣学・和田喜彦(2007)『テキストブック 環境と公害:経済至上主義から命を育む経済へ』日本評論社

環境史

  1. カーター・デール(1975)『土と文明』家の光協会
    →表土(topsoil)を喪失した文明はすべて滅びることを古代世界に遡って検証
  2. クライブ・ポンティング(1996)『緑の世界史』朝日新聞社
    →世界史を政治史や経済史、文化史などとしてではなく環境史として捉えた意欲作
  3. 鬼頭宏(2002)『環境先進国江戸』PHP新書
  4. 石川英輔(2003)『大江戸えころじー事情』講談社文庫
    →当時として世界一と言える人口を抱えていた江戸での資源循環のお話

自然資源管理とコモンズ

  1. 多辺田政弘(1990)『コモンズの経済学』学陽書房
    →コモンズとは日本語の入会地(村落共同体の共有地)にほぼ対応する言葉、私有でも国有でもない共有により環境保全を図る現代的な方向性を語る
  2. 宇沢弘文・茂木愛一郎編(1994)『社会的共通資本:コモンズと都市』東京大学出版会
  3. 中村尚司・鶴見良行編著(1995)『コモンズの海:交流の道、共有の力』学陽書房
  4. 諸富徹(2003)『環境(思考のフロンティア)』岩波書店
    →ソーシャルキャピタル論の環境問題への適用可能性について論じる
  5. 井上真(2004)『コモンズの思想を求めて』岩波書店
  6. 室田武・三俣学(2004)『入会林野とコモンズ』日本評論社
  7. 菅豊(2006)『川は誰のものか:人と環境の民俗学』吉川弘文館
    →江戸時代までさかのぼり、コモンズがどう発展してきたのかを「川」を通じて論じている
  8. 鈴木龍也・富野暉一郎編著(2006)『コモンズ論再考』晃洋書房 

環境とお金

  1. ステファン・シュミットハイニー、フェデリコ・JL・ゾラキン(1997)『金融市場と地球環境』ダイヤモンド社
  2. 河邑厚徳編(2000)『エンデの遺言:根源からお金を問うこと』NHK出版
     →ドルや円の投機的運用からは切り離され、福祉や環境改善に使われるような新しい通貨、地域通貨に関し、その歴史的背景を語る
  3. 森野栄一監修、あべよしひろ・泉留維共著(2000)『だれでもわかる地域通貨:未来をひらく希望のお金』北斗出版
    →地域通貨の歴史的背景と、実際の運用上のノウハウを語る手軽なガイドブック
  4. 坂本龍一・河邑厚徳編(2002)『エンデの警鐘:地域通貨の希望と銀行の未来』NHK出版
    →『エンデの遺言』の続編。銀行の側からみた社会の持続可能性とは
  5. 室田武(2005)『地域並行通貨の経済学』東洋経済新報社
  6. 藤井良広(2005)『金融で解く地球環境』岩波書店

環境、経済、社会

  1. 富山和子(1974)『水と緑と土』中公新書
    →水から環境を考える視点を確立した名著
  2. 鶴見良行(1982)『バナナと日本人』岩波新書
  3. 矢間秀次郎編著(1992)『森と海とマチを結ぶ:林系と水系の環境論』北斗出版
  4. 内橋克人(1995)『共生の大地:新しい経済がはじまる』岩波書店
  5. コンラッド・タットマン(1998)『日本人はどのように森をつくってきたのか』築地書館
    →他国と違って、最近までの日本はなぜ‘緑の列島’であったのか、アリカの徳川藩政史家が江戸時代の先人たちの知恵と努力に光を当てた労作
  6. 鬼頭秀一(1996)『自然保護を問いなおす』ちくま新書
    →環境倫理を学ぶ際の入門書
  7. 村井吉敬(1998)『エビと日本人』岩波新書
  8. 田淵俊雄(1999)『世界の水田 日本の水田』農山漁村文化協会
  9. 五十嵐敬喜・小川明雄編著(2001)『公共事業は止まるか』岩波新書
  10. ポール・ホーケン、エイモリ・B・ロビンス、L・ハンター・ロビンス(2001)『自然資本の経済』ダイヤモンド社
    →環境コンサルタントから見た環境を攪乱させないようにする新しいビジネスのあり方とは
  11. 広井良典(2001)『定常型社会:新しい「豊かさ」の構想』岩波書店
    →経済的成長という価値観から脱却し、環境と福祉の融合から新しい日本社会のあり方を提起している
  12. 天野慶之、高松修、多辺田政弘編(新装版2004年、原著1985年)『有機農業の 事典』三省堂

フィールド調査の手がかりになる図書

  1. 中尾ハジメ(1981)『スリーマイル島』野草社
  2. 宮本常—(1993)『民俗学の旅』講談社学術文庫
  3. 鶴見良行(1998)『辺境学ノート』めこん
  4. 中島暢太郎監修・京都地学教育研究会編(1999)『新京都自然紀行』人文書院
  5. 嘉田由紀子・遊磨正秀(2000)『水辺遊びの生態学:琵琶湖地域の三世代の語りから』農文協人間選書

寺家ふるさと村(07年度)の農業実習(1)

横浜市青葉区にある寺家ふるさと村(寺家町・実習に使用している田は町田市三輪町にかかっています)。無農薬、無肥料稲作をしている木村さんのお世話になって実習をはじめて、3年目突入。今年度は新しく耕作放棄地を手がけることはありませんが、クロや水路の補強など田んぼとしての機能を高めることを主眼においてはじめました。

2007年3月:クロや水路の補強など

例年と同じく、周辺の里山の竹や雑木を伐採。毎年2回実施しているので、かなりすっきりしました。これで田んぼにも十分陽が当たるでしょう。

毎年、クロの弱いところが崩れ、下の田んぼに水漏れしていましたので、弱いところに間伐した木を埋め込んで補強しました。木は動かないように竹を打ち込んで固定し、上から土をかぶせています。

水路も例年崩れているところに、里山から切り出した竹を隙間なく打ち込んで補強しました。不慣れな作業なので、まっすぐ打ち込めず、ぐねぐねになってしまいましたが、役には立つでしょう。

作業終了後の光景。これで補強作業は一段落。あとは水路を掘り起こし、水を流し入れて、苗代作り、種まきへと続いていきます。

2007年5月:苗取りと田植え

苗取り。今年は中腰での作業だったので、腰が痛くなる前に入れ替わり立ち替わりで作業。ちゃんと、コシヒカリと間違えないように取りました。

今年はロープを張らず、30cm四方のスペースを取るように目分量で実施。おしゃべりしながらすると、案の定、かなりグネグネになってしまいました・・・除草が大変かも

2007年6月

一回目の除草日が大雨で流れてしまったので、田植えから約1ヶ月たって初めての除草。6月は全体としては雨が少なかったので、わき水が少なく、田んぼが一部乾いてしまっています。そのせいで、雑草がびっしりはえてしまいました・・・かなり手強い雑草たちです

2週間後に三回目(実際は二回目)の除草日があるので、それまでには梅雨らしい雨が降って、田んぼにちゃんと水が張ればいいのですが。ちなみに土地改良がしっかり入っている近くの水田は、水利権がしっかりあるので、この程度の少雨なら問題が全くなく、なみなみと水が張られていました。

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